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別れは突然にやって来る 〜松本久美子〜
1月25日、私は今年初めてのSKiのコンサート《結成12年目のはじめまして!》を見るためこまばエミナースを訪れた。例によって入口には何枚かの貼紙があったが、残念だったのは松本久美子ちゃんが欠席するという告知だった。もっとも、彼女直筆の「熱は下がりましたがお腹の具合がよくないのでお休みします」という文のコピーがあったし、前週のLRイベントには出ていたと聞いたので、あまり心配はしていなかった。
しかし、久美子ちゃんが2月22日の《決定!SKiのカウントダウン100》にも欠席した時点で、私は彼女の退会を予感した。なぜなら、これまで長期欠席したメンバーは、1期生の久保愛を除けばすべてそのまま辞めてしまっているからだ。
久美子ちゃんは、8期生として2001年8月に初ステージを踏んだ。最初はそれほど目立つ存在に思われなかったが、10月に西堀真子・水本あつみの2人が不祥事によって退会したことが転機になった。彼女は西堀が歌っていた『明日に向かって!』を受け継ぎ、新人離れした歌唱力で強烈なイメージを残した。
2度目の転機が訪れたのは昨年3月、秋山文香が突然休業した時だった。ここで久美子ちゃんはその代役としてHellowのメンバーに起用され、SKi本体でも秋山が歌っていた曲の多くを受け継ぐことになった。これによって彼女の出番は大幅に増え、SKiの中心メンバーの1人といっていい存在になった。
同期の松尾真冬ちゃんとのデュエットも忘れられない。昨年5月4日の《新入生歓迎コンサート》では、『引っ越し』『青春』『知性のシエスタ』『恋のハイウェイドライブ』『恋の予感』の5曲をデュエットした。このうち1曲目から3曲目までは先輩メンバーのイメージが強い曲だが、彼女達は曲を完全に自分のものにしていた。彼女達はソロもいいが、デュエットだとさらに魅力がアップするから、私にとってはコンサートに行く楽しみが増えて、とても嬉しく思った。
そして昨年12月28日、昼の《第1回 新御三家コンサート》でHellowが歌った6曲のうち、久美子ちゃんは『Cutie Cat』『タイムマシン』の2曲でセンターヴォーカルをとった。夜の《最後の楽園カーニバル》では、『初恋のセレナーデ』『孤独の世界』『さよならへの旅立ち』『メランコリー』の4曲を歌った。いずれも秋山が歌っていた曲だが、もうその影を感じることはなかった。
特に『さよならへの旅立ち』では、秋山とは全く違った表現力を見せ、難しい高音のところも見事に歌いこなしていた。極端な言い方かも知れないが、この時久美子ちゃんの背後にはオーラが輝いて見えた。私は、2004年彼女はさらに活躍するだろうと確信した。しかし、年が明けた1月25日、こまばエミナースのステージに彼女の姿はなかった。
退会理由は“家庭の事情”らしいが、12月公演であれほど輝いていた久美子ちゃんが突然いなくなってしまったという事実は、まだ受け入れることができない。ステージに開いた大きな穴は、今も埋まらないままになっている。これまでにも何度かあったことだが、SKiではやはり、別れは突然にやって来てしまうものなのだ。
[編集委員◆本間 寛]
誰のせいでもない
久美子ちゃんの退会を知ったのは、というか知らされたのは、やるはずだった久美子ちゃんのバースデーイベントだった。会場では返金を受け取った人に進行表を渡していて、その中に退会について話すことになっていたのだ。しかし、本当に久美子ちゃんは退会したかったのだろうか?本人の口から本当の事が聴きたい。しかし、結局事務所側から一方的に退会処分となってしまった。というわけで、今の私は糸の切れた凧のような気分だ。
久美子ちゃんに関して、ここでいろいろと今までの思い出を書いたり、彼女のことをいろいろ書いてしまうともう終わってしまったような感じになってしまう。自分にとってそれはまだまだ辛いことだし、「今はわかりたくない」のだ。
また笑顔で会えることを信じてる。だって私はさよならを言っていないし、言われていないのだ。その時までお互い元気でいよう。心から再会を願ってるから。
[東京都/ぜろ]
ノスタルジア
実を言うと「久美子」という名前には少しばかり反応する。もうはるか昔のことだが、幼稚園の頃、仲良かった子が「くみこちゃん」だったのだ。当時の想い出などほとんどないし、彼女に関する具体的な記憶も正直言って思い出すのが難しい。それでも名前の響きに“ノスタルジー”を感じるのは、心の奥に良い形でしまい込まれた気持ちの表れなのかもしれない。そう信じたい。
私たちはなぜ、延々とSKiファンを続けているのだろうか。誤解を恐れずに言うと、この世界は常識からかけ離れている。そして、「非常識」とすら思えるような出来事が少なくない。それでも、コンサート、イベントへ足を運ぶのはどうしてなのだろう。
その答えは、おそらく誰もが感じているに違いない。
僕らがそれぞれ無意識に持っている“何か”。
久美子ちゃんとファンさんが過ごした最後の場、それは1月の「新年会」であった。この時のことが不思議と印象に残っている。内容が特別面白かったとか、盛り上がったというわけではない。「最近、ビーズのアクセサリーを作っていて、千歌ちゃんはとても作るのが速い」。そんな、たわいのない話を僕らは聞いていた。“なごむ”空間はこうして生まれ、心地よい響きとなってその場にとけ込んでいく。求められるのではなく、ただ、あるがままの時が流れていた。
松本久美子さんは、SKiでの2年半にどんなことを得てきたでしょうか。
一つだけ、心に留めておいて欲しいのは、久美子ちゃんの姿に“希望”をもって接してきた人たちが存在したということ。僕ら、人間が生きていく上で大切なものとは、それを少しでも感じとってくれればと思う。
時には後ろを振り返ってみると、見えなかったものが見えてくるかもしれませんよ。
[編集委員◆ゆめのしずく]
<松本久美子さんの話>
アイドルグループ・制服向上委員会の主力メンバーであった松本久美子は、観る者に対してさわやかな感動を与えてくれた、素晴らしいアイドルであった。
そして、ステージを降りたときの、普通の女の子としてのたたずまい。これもまた我々の心を捉えた。
私の心の中で、彼女の記憶が残っていくことは当然のことである。
初めてコンサートに登場したとき、片平妃奈子とペアを組み、『Let's get,STAR』を踊る姿が実に決まっていて、新メンバー紹介の際に早くも「即戦力〜!」と声がかかったこと。
忘年会イベントで、松尾真冬に「一緒に歩いているときに「『ピクミン、ピクミン』と口ずさみながら歩いている」ことをばらされてしまった時、横で「わ〜〜〜、ハズカシー!」とばかりに隣にいた片平妃奈子の胸に顔を埋めて恥ずかしがっていたこと。
『ごあいさつ』イベントでの撮影会で、私の構えるデジカメを見て「デジカメ欲しいんですよ〜」と言っていたのちに、春の『ソウルツアー』で、高校の入学祝いに買ってもらったデジカメで嬉しそうに写真を撮りまくっていたこと。
倉敷・チボリ公園でのコンサートで、蒼い照明灯に照らされた、艶めかしく美しい表情で『だから会いたい』を歌ったこと。
制服向上委員会屈指の名コンビである『青山れい・奥山みか』と並ぶ存在と言える松尾真冬との『松・松コンビ』で、絶妙のコンビネーションをみせてくれたこと(皮肉なことにどちらのコンビも、その輝きを見せてくれた時間は短かった。あまりにも・・・)。
そして最後のコンサートとなってしまった昨年12月の公演で『さよならへの旅立ち』を最高の形で歌い上げたこと・・・。
どれも私にとって、忘れられないことばかりである。
こんな話もあった。
これはSKiにはあまり詳しくない私の友人が、たまたま参加したCDキャンペーンでの握手会の時の松本久美子との会話だ。
久美子「ぜひ今度、コンサートに来てくださいね」
友人 「ごめんなさい、(仕事で)コンサートに行けないんですよ」
久美子「ダメですっ、許しません」
友人 「でも、モー○ング娘。のコンサートには行きませんから許してください」
久美子「許します(笑)」
彼がいっぺんに松本久美子のことを気に入ってしまったのは、言うまでもない。
なんと言おうか、くすっと笑ってしまうというか、実に洒脱なエピソードではないか。
この洒脱さはかつての主力メンバーである三期生・菊地彩子に通じるものがある。そう言えば松本久美子はイベントで会ったときの菊地彩子の綺麗さに驚き後日「彩子さんみたいになりたい」と言ってたっけ・・・。
そんな魅力一杯の彼女と、本当に、本当に遺憾ながら、このような形でお別れすることになってしまった。正直言って悔しい。どうにも出来ないことは分かっているけどさ。
私自身のささやかな夢の一つとして『ウエディングベル』を松本久美子のヴォーカルで取ってほしかったというものがあったが、霧散してしまったのである。
今、私が松本久美子さんに望みたいこと。それは・・・。
SKiの活動を行っていたわずかな時間に感じたさまざまなことが、彼女がこの先歩んでいく人生においての大切な経験となってくれることです。
くみみん、本当にありがとう。ずっと元気でいてね。
追伸
17歳なら、まだいくらでもチャンスはあります。
もし私たちの前に再び立ってくれるのならば、そのときには、必ず駆けつけますからね。
[編集委員◆やまのむぎふみ]
※文中、敬称略で書かせていただきました。