稔の旅日記 第1回

 寝台急行「銀河」(下り・東京→大阪)


 JRグループ6社には、さまざまな夜行列車が存在しますが、その中にあって、東京〜大阪間を走る 急行《銀河》は、唯一の寝台専用急行列車であります。この列車は、東海道本線を走るだけあって、最終の新幹線に間に合わなかったビジネスマンや甲子園の高校野球観戦客らに愛用されています。

 稔も、過去に3回乗車(95/4/23,7/8,10/29)したことがありますが、今回は達也といっしょに乗車してみて、急行《銀河》の現状をレポートしてみたいと思います。

【第1章】「明日への勇気」〜東京を離れるまで〜

 私たちは、「はじめまして3期生委員会です」公演が行われた朝日生命ホールをあとにして、SKiファンなら知らない人はいない(!?)ほど有名な、宴会のメッカ・居酒屋〈天狗〉新宿プリンスビル店“通称・プリ天”にて、このKS3に関わっている皆様と盛り上がっていた。もちろん皆様はお酒類、稔はウーロン茶を3杯(笑)。すると、達也から「もうすぐ時間だよ!」と言われて時計を見ると、22時20分を指していたので、急いで出発の支度をする。「皆様、次号(KS3 vol.3)の原稿をよろしくお願いします。」と言い残して、JR新宿駅へ急いだ。新宿から東京へは快速でも15分かかるため、22時半頃までに乗らないと、銀河に乗り遅れてしまう。階段を駆け上がると、ちょうど問題の電車が入ってくるところだった。乗ってから気がついたのだが、ナナナント(c)居酒屋に傘を忘れてしまい、達也の携帯電話で連絡を取る。途中、四ツ谷・御茶ノ水・神田に停車して、22時45分無事に 東京ターミナルに到着した。

 東京駅から出発する列車は、22時を過ぎると極端に列車本数が減る。しかも、静岡より西へ向かう列車は、急行《銀河》と 大垣(岐阜県)ゆき普通列車《通称・大垣夜行(人によっては、垣夜・がきどん とも言う。)》の2本だけしかない。夜食用の駅弁と飲み物を買って、9番ホームへ上がると、「普通列車の大垣ゆきは本日、品川駅からの発車でございます。」のアナウンスにあわてて階段を駆け下りる人がいた。というのも、1998年2月の長野オリンピックに間に合わすべく、長野発の北陸新幹線を東京駅に乗り入れさせる工事が行われているため、東海道本線のホームの幅が狭められ、春,夏,冬休みなどの旅行シーズンには乗客が並びきらなくなるので、ホームの広い品川駅から発車させるのである。

 だが、急行《東海》と共通運用される大垣夜行の車両(165系急行型直流電車)も寄る年波には勝てず、この3月16日のダイヤ改正からは、身延線の特急《ふじかわ》に使用されている、新型の373系特急型直流電車に置き換えられる。列車名も新たに 快速《ムーンライトながら》となり、普通車のみの9両編成で、下り列車は東京から小田原まで、上り列車は大垣から熱海までの間は全車指定席。以遠は一部が自由席車として開放される。また、これに伴い、続行する臨時列車の運転日が増える予定だ。

 おっと、話が脱線してしまった。元にもどそう。

 22時54分、神田方から煌々とヘッドライトを照らしたEF65型電気機関車と、それに引かれた24系25型寝台客車9両の列車がやってきた。急行《銀河》の入線だ。ホームで乗車記念の撮影をして、列車に乗り込むと、高々と発車ベルがホームに鳴り響いた。が、いっこうに発車する気配がない。おかしいなと思っていると、「上野より(この列車に)乗り継ぎのお客様がおられますので、しばらく停車いたします。」とのアナウンスが流れた。このせいで、東京駅の出発が10分遅れた。

【第2章】「降りしきる雨」〜東京から静岡へ〜

 出発してすぐに、案内放送がはじまった。「お待たせいたしました。寝台急行・銀河号の大阪ゆきです。列車は、前から1号車,2号車の順で、一番うしろが9号車です。1号車はA寝台車で、2号車から9号車までが二段式のB寝台車です。なお、お客さまのおやすみの妨げとなりますので、放送によるご案内は明朝6時33分の大津到着直前まで休止いたします。」 車内放送が終わるころ、品川駅のホームへすべり込む。

 大井町通過の時、先月のコンサートの時に泊まったホテル(アワーズ・イン 阪急)が見えた。ここは都心に近いわりに5000円と安く、またすいているのでオススメである。多摩川の鉄橋を渡り、川崎を通過するころ、大阪車掌区の村田車掌が検札に来た。窓の外を見ると雨が降りだしたようだ。横浜と大船に止まって、再び西へと走り出した。藤沢通過直後、時計は午前0時を指した。日付が変わり、最初に止まった小田原駅で1分停車した。雨は上がったようだ。この時間になって起きているのは、どうやら自分だけらしい。(きのう、徹夜でKS3の第2号を作っていた達也は、検札のあと すぐに寝てしまった…。) 0時49分、熱海着。東京出発時の遅れは更に広がり、定刻より13分も遅れていた。静岡まであと1時間、ひとりではたいくつなので、CDを聴く。(「熱い地球」→「“寿”十八番勝負」) 「う〜ん、やっぱりSKiは最高だなぁ。」と、感動にひたる自分であった。(納得)

 列車が停車したので、静岡に着いたのかなと思ったら違うみたいだ。通りがかった村田車掌に尋ねると「どうやら信号待ちのようです。」とのこと。止まったのは、草薙〜静岡間の線路上であった。そして1時50分、定刻より2分遅れて列車は静岡駅に到着した。ジュースを買おうとホームへ降りたら、雨が強く降っていたので、案の定 服が濡れてしまった。(苦笑) 静岡は定刻に出発した。

【第3章】「夢の旅」〜静岡から大阪へ〜

 今まで起きてきたが、さすがに眠くなってきたので、とうとう自分も寝てしまった。でも、これでは読んでいる方が面白くないので、稔が寝ている間にどんな夢を見たのか、ここでご紹介します。

 3つの夢をみたのですが、その中で一番よく覚えているのが、[制服の日 IJF 9時間耐久ライブ in日比谷野音]。時は、1997年の8月半ばの日曜日。なんと、今までにSKiに所属していた(卒業生も含めて)すべてのメンバーが登場するという、凄まじいライブである。もちろん演奏は、松本文男とミュージックメーカーズのみなさんだ。開演は10時30分、途中20分づつ3回の休憩をはさみ、終了が20時30分! しかも天候は、どしゃ降りの大雨だった(爆)。タイトルは、「アイドルジャパンフェスティバル'97 〜新たなる神話伝説・鈴鹿8耐を越えろ! 9時間耐久ライブ」ど〜だ!あったらコワイぞ。

 達也に起こされると同時に、車内放送も再開である。「みなさま、おはようございます。ただいま6時30分でございます。この列車は現在、定刻どおりに運転しております。このあとの停車駅と到着予定時刻をご案内いたします。京都6時42分。新大阪7時13分。終着大阪には7時19分到着の予定でございます。まもなく大津に到着です。」大津では(乗客は)あまり降りずに、逢坂山と東山のふたつのトンネルを抜けて、三都物語最初の舞台・京都に到着、ここで大半の乗客が降りていった。京都市民の論議を呼んだ、高さ60mの新駅舎が建設中だ。桂川の鉄橋を渡り、ブルトレや特急型など色とりどりの車両が並ぶ向日町運転所を過ぎれば、(鉄ちゃんの列車撮影でおなじみの)山崎のカーブに差しかかる。このあたりは、京都と大阪の境目なので、まだ家も少なく、田畑が広がっている。高槻・茨木を過ぎ、すっかり空き地となった吹田操車場が右に見えるころ、降りる支度を始める。新大阪に止まり、新淀川の鉄橋を渡って右にカーブして、毎日放送やアクティ大阪・新梅田シティ(空中庭園のある、梅田スカイビル)が見えてくれば、終着の大阪駅。東京から8時間19分の旅は、静かに終わったのであります。

[編集長■Benetton]


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