大切にしまっておきたい、セピア色の日々…。 思い出は色エンピツで

碓氷峠を越える想い =自転車で行った軽井沢=

 1995年5月の初め、見慣れた封筒が 郵便受けに入っていた。部屋に戻り、早速ペーパーナイフを入れてみると、数片の紙切れだけが入っていた。そう、私の封筒にはビデオテープが入っていない。貧乏人の私には、日本一高いファンクラブの会費は、とても払いきれないのである。別にいいさ、どうせビデオデッキも持ってないんだから…。ビデオのことは一切忘れて、送られてきた書類に目を通す。オリジナルビデオの一覧とグッズの申込用紙、これは別に不思議ではなかったが、もう一枚 いつもと違う紙が入っていた。なになに、《第2回☆SKiと一緒に行こう in軽井沢》 むちゃむちゃ怪しいやんけ。

 今、こういうイベントがあっても、「制服向上委員会(以下、SKi)のやることだから…」で、納得してしまうだろう。でも、その当時は、「なんでコンサートに白衣着た男がおるねん!」とか、見るものすべてが驚きの連続だったから…。 先を読むと、〈日時◇7月1日〜2日 [一泊二日]〉おぉ、麗しの松田ゆかり君{ぎみ}ご生誕の日(7月5日)の直前ではないか。これは、直接この手でプレゼントを渡すことのできる千載一遇の好機、逃す手はない。ええと、参加費は…。二万九千八百円だとぉー、俺にそんな大金あるはずがない。だが待てよ、松田ゆかりさんにプレゼントが渡せて、そのうえ制服向上委員会と一緒に旅行(現地集合だけど)ができるなら、この金額は正当なものだろう。むしろ、お買い得かも知れん。ここは、国民年金を一カ月分滞納して、その金で申し込んでおこう。

 さて、当日どうするか計画を立てよう。会場の軽井沢は、私の住む群馬県と、お隣・長野県の県境に位置している。このとき私の脳裏に、ひとつのバカげた考えが浮かんだ。「どうせ、直接プレゼントを手渡しに行くのなら、クルマや電車を使わず、自転車に乗って自力で、軽井沢まで行こう!!」 地図を拡げると、家から軽井沢までは、直線距離で72km。(これは、大阪から和歌山までと、ほぼ同じ距離) 実際の道は、直線ばかりではないので、80kmくらいはありそうだ。さらに、群馬側から軽井沢に行くには、あの“碓氷峠”を越えなければならない。自転車は、坂道が大の苦手な乗り物で、平地の5kmより 山道1kmのほうが疲れるし、まして碓氷峠は急坂で有名である。「こりゃ、無理だ。」私は、そう喜んだ。“無理・無茶・無謀”は、私の大好きな言葉である。「松田ゆかりさんに、プレゼントを渡すため」であれば、その無謀なことがやってみたい…。そう思うと、がぜんやる気が出てきた。

 翌日から特訓開始。家から20kmほど離れた、群馬県桐生市。ここは、かつてSKiがイベントで訪れ、私がSKiにハマるきっかけになった、思い出の地である。そのイベントのあった公園まで、毎日40kmを往復することにしよう。当日までの約2ヶ月間、コンサートで東京に行く日以外は、上州名物・からっ風が吹こうが、梅雨に入って雨の日が続こうが、渡す予定のプレゼントの品を胸ポケットに入れ、私は走り続けた。その成果が出てきて、はじめは2時間半かかっていた時間も、1時間45分と 3割も縮めることができた。

 だが、まだ甘い。碓氷峠は急な坂道が続く、平地で半分の距離を走れたとしても、軽井沢は はるかに遠い。万が一にも、途中でバテて遅刻したなんて事になったら、大変だ。私は、気合いを入れるためにハチマキを作ることにした。黒い布を買ってきて、ミシンで縫う。そして、額のところに赤色で〈鬼〉と書き入れる。鬼という字は、〈魂〉や〈気魄(きはく)〉にも使われているので、気合いを入れるには都合が良い。そして昼食には、米軍の保存食を用意する。もともと、女子学生が着ているセーラー服は、海兵隊のユニフォームだと聞くし、男子の詰め襟・学ランも、ドイツの軍服がモデルだというから、SKiの旅行に持っていく弁当には、このミリタリー・レーションが最適… のはずがないな。

 いよいよ前日。計算上、毎時20km/hで走るとして、軽井沢まで80kmで4時間、碓氷峠の急坂でさらに2時間、途中で疲れてペースダウンするだろうから1時間半、トラブルやアクシデントを予測してもう1時間半、計9時間あれば絶対に着けるだろう。午後5時集合の、2時間前に着いて休憩したいから、逆算すると午前6時出発になる。今夜は早く寝よう。

EF63

▲ 博子ちゃんなら知っていると思いますが(笑)、東京方面(高崎)から列車で軽井沢へ行こうとすると、横川駅でこんなの[補助機関車:EF63型電気機関車]がうしろにくっついて、グイグイと力強く押してくれます。それ位きつい勾配なんですから、自転車で登ることが、どれだけ困難かがよく分かります。

 目が覚めると、雨。そういえば、まだ梅雨が明けていなかったなぁ。でもこれで、プレゼントに付加価値がプラスされる、ラッキーだ。だだ自転車だと、雨ガッパを着ていても、何時間も走れば びしょびしょになってしまうので、ジャージを着て行って、ホテルに着いたら着替えよう。そんなことで荷物を作り直していたら、出発が7時になってしまった。ジャージにハチマキ、そのうえ雨ガッパ…。本気でこんな格好をして、アイドルのイベントに行くのかと思うと、自分でも頭が痛い。だが、一度自転車が走り始めてしまえば、そんな事など気にしていられない。何としてでも、軽井沢までたどり着かねばならないし、途中で疲れても引き返すことすらできない、ここから先はサバイバルレースなのだ。

 ほぼ中間地点にあたる高崎市を、2時間ちょっとで通過。少しペースは遅めだが、時間はたっぷりあるので気にしない。ここから先は、だんだん上り坂になってくる。しかも、雨ガッパなんぞ着ているので、内側はサウナ状態。いよいよ過酷な旅になってきたが、この先に、あのSKiの可愛らしい面々が待っているのだと思うと、楽しくてしょうがない。

 そして、問題の碓氷峠である。ここまで既に4時間を費やし、相当疲労しているのだが、まるで駄目だという気にならないのは不思議である。予想していたほど、坂の角度はきつくはないが、ウネウネと曲がった道がやたらと長い。なにか、とんでもないところに来てしまったなぁと思うが、その無謀さ加減が、自分で楽しいのだ。

 ついにトラブル発生! 高崎を過ぎてから、やけにペダルが重いと思ったら、パンクしていたのだった。幸い、穴は小さいらしく、完全に抜けてはいなかったが、このままでは まともに走れない。でも、その程度のことでは、私の情熱を遮ることはできないだろう。すぐに、自転車に積んだバッグから〈瞬間パンク修理剤〉を、ドラえもんの四次元ポケットのように取り出した。これであと2〜3時間は持ってくれるはずだ。それまでに、峠を越えて人里まで行くことができれば、あとは何とでもなる。再び自転車をこぎ出してから、10分。目に見えて、タイヤがしぼんできた。最悪の場合は、肩に担いで登らなければならないかもしれない。まだ5時間ある、何とか間に合うだろう。

 一時は、どうなるか楽しみだったが、何とか持ちこたえてくれた。峠を越えると、軽井沢は晴れていた。濡れたカッパを着て自転車に乗っていると、地元の人が怪しげな視線をこちらに向ける。会場のホテルに着いたので、表に自転車を停め、中で着替える。ジャージでホテルに入るのは、少し恥ずかしい。

 着替えも済み、すっかり田舎の気さくな兄ちゃんに変身した。昼食をとり、ひと休みしてから、3時か4時ぐらいに受付をした。受付の女性が、「お車ですか? それとも電車でいらっしゃいましたか?」と聞いてくるので、「自転車!」と答える。そのあと、メンバーのひとりと写真撮影をする。私は当然、松田ゆかりさんにご一緒してもらう。ここで、忘れないうちにプレゼントを渡しておく(あせって渡すこともなかったが…)。はたして、彼女は喜んでくれただろうか?

松田ゆかり  私はある意味で、松田ゆかりさんや 他のメンバーのことを尊敬している。私にここまでのことをさせる情熱を与えてくれる存在に対して、最大の敬意を持っている。私は、SKiのステージに、ある種の感動すら覚えた。SKiが、私にそれだけの情熱を持たせてくれるのなら、私は受け取ったその情熱によって、それに応えたいと思う。そうすることが、私なりの礼儀であり、敬意の表し方なのである。私には、どれほども彼女たちを喜ばせることはできないかもしれないが、その心だけは忘れまいと思う。

 帰り道は、下り坂なので、ペダルなんかこがなくても、半分くらいまでは帰れてしまう。きっと、筋肉痛でボロボロになって帰っていくんだろうと思っていたけど、SKiのみんなに会ったことで、逆にリフレッシュしてしまい、行きに5時間15分もかけたのに対して、帰りは3時間45分しかかからなかった。下り坂であることを差し引いても、帰りの方が速いのだ。恐るべし、SKiパワー…。

 あれ以来、私の脳裏を、ひとつの言葉が浮かんでは消えていく。
 「死ぬまで、SKi」
 やばい! ついにここまで来てしまったか。 だが、“無理・無茶・無謀”は、私の大好きな言葉である。

[文:群馬県/知恵之輪士, 写真:しゃしょう(機関車),夢野 雫(ゆかり)


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