【第1回】SKiを“見守る”人々
本誌の論説委員である、夢野 雫氏や まる井氏も、それぞれ {篠原智子ちゃんを見守る会},{裕紀子ちゃんを温かく応援する会} などとして活躍され、SKiのファンには こうした“見守る”タイプの人が多いように見受けられる。
かくいう私も、そのひとりなのだが、かわいい女の子を見守っているのは、かなり強烈にたのしい。コンサートで、篠原智子が振り付けを間違えて、とりあえず笑ってごまかしているのを見つけても、あえて何も見なかったことにして、拍手をするのが楽しかったりする。この“見守る”という応援のやり方は、実にアイドル的で、他のジャンルでは ほとんど成り立たない。今はやりのユーロ・ビートにノッて歌い踊る若者たちに そんな感覚はないし、まして、ディープ・パープルの リッチー・ブラックモアや、ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュのギタープレイに対しては、もはや“見守る”なんて恐れ多い。
アイドルの場合、上手に越したことはないが、たとえ下手であっても それはそれで魅力の一つとして許されてしまうだろう。そんな訳で、「アイドルの音楽はレベルが低い」と、世の音楽愛好家たちからは冷遇されているようですが、いいんですよ アイドルは…。なぜ、それで良いかと言えば、{歌手}は歌を歌う人、{ダンサー}はダンスを踊る人… など、おのおの専門の分野があるのですが、{アイドル}の場合は、歌って踊って笑顔がかわいくて… と いうように、その内の一つないしは二つか三つ、良いところがあればいい訳で、「総合的に見て、いかに魅力的であるがどうか」が問われるのが、アイドルだと言えよう。
要するに、アイドルとは「(その娘が)かわいいと感じられれば、それでOK!」ってなもので、「その人物の持つ、“人間的な魅力”を売る職業」という言い方をすれば、カッコイイかもしれない。実際、音楽なんてものは、実生活に役立つことは ほとんど無く、根本的に喜怒哀楽といった感情に根差したものなのだから、聴いても“なんだかよく解らない”世界的な名曲よりも、“素晴らしい”と思えるアイドル・ソングのほうが、その人にとっては良い音楽と言えるのだろう。
今、世の中では女性の社会進出が進み、“女性の地位が向上した”というウソッパチが まかり通っている。自立して、仕事をバリバリこなす〈男の格好〉をした女性が評価される一方で、本来の〈女の子らしい女の子〉の評価は、昭和の時代よりも低くなってしまった。
結局、〈普通の女の子でいたい〉女の子たちは、時代遅れと笑われるか、全く相手にされないかのいずれかで、正当に評価されているとは言い難い。そんな、“アイドル冬の時代”の中で、「清く正しく美しく」正真正銘の〈女の子らしい女の子〉のグループとして結成された [制服向上委員会]。文字どおりに、制服の向上を目的としており、その《制服宣言》の中では、こう述べられている。「全国の友だちの制服が かわいく変身すれば、きっと楽しい毎日だと思います。」
それは、〈制服〉という、学生たちにとって日常的な服装の向上を通じて、日々の生活をより楽しもうというメッセージであり、決して才能のあるエリートになれ、とは言っていない。
SKiを“見守る”ファン。彼女たちの存在を認め、それを全面的に受け入れる人が増えたのは、時代の大きな流れとは異なる、“新しいムーブメント”だと言える。こうした〈女の子〉そのものへの理解を示す人が多くなったのも、全国の女の子代表として、地道に活動を続けてきた、SKiの活動の“成果”と言えるだろう。
[群馬県/知恵之輪士]
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