知恵之輪士のSKiを読む!

 【第2回】“応援のしかた”について
 「まず最初は、ある特定の人物の美しさに恋して、その情熱が美しい言葉を生むだろう。次に、その 美しさが、他の人物の美しさと似ているのに気づいたとき、二人の美しさが同じものであるのを否定するのは、愚かしいことである。
 この点まで達したら、自分は、すべての美を愛するものとして、その一人に対する情熱を、少しか、あるいは 全く無意味なものとして、適当な程度に引き下げなければならない。」

 これは、古代ギリシャの哲学者・ソクラテスが、ディオチマという女性から教わったという、美の教えを要約したものだが、私は、SKiの、1期生から3期生への世代交代の中に、これを見たように思う。

 1995年2月に、主力と言われていた1期生が、ゴソっと まとめて抜けたときには、「これからのSKiは どうなるのか?」と心配したが、成るように成るもんだ(笑)。「望月隊長と、田村中隊長も抜けた 寿隊なんて…。」と思ったが、なんとか成るもんだ(笑)。
 今では、青山れいも、白石桃子もいなくなってしまったが、[SKi] や [寿隊] は、次の世代に引き継がれた。そこに私は、古代ギリシャ的な“美の観念「ひとりひとりの美しさは、他の人物の美しさと同じである。」”というのを見たように感じる。1期生も、3期生も、同じSKiのメンバーなのだ…。

 ここでもう一度、文頭のソクラテスの言葉を読み返してほしい。ナナナント(c)、驚くべきことに、古代ギリシャ人の倫理観では、「一推し複数、その上日替わり、かわいければ誰でもOK!」という、今の日本(の世間一般)では、“外道”扱いされるような人間が、恐るべきことに、もっとも理想的な人間とされていたのである。

 時は移って、ソクラテスの時代よりも のち、12世紀のフランスを中心に活躍した、サルバトーレと呼ばれる詩人たちの間では、相手の人格に対する“一対一の恋愛”が登場する。この吟遊詩人たちが好んで詠ったのが、ブリテン島(今のイギリス)のお話で、その代表格が「アーサー王と円卓の騎士」の物語である。〈ドラゴン・クエスト〉などの RPG(ロール・プレイング)ゲームの原型になっている、“剣と魔法の世界”と言えば 分かる人も多いかと思うが、そういった冒険譚(ばなし)と同時に語られていたのが、「騎士とお姫様の、ロマンティックな恋物語」なのだ。
 ある物語では、ふたりの騎士が決闘をして、ひとりは相手の剣に貫かれて死んでしまう。それを見ていた、殺された騎士の恋人は、「あぁ、あなたは、二つの体の一つの魂を殺してしまった。」と言い、自分の恋人を貫いている剣に身を投げて、自殺してしまうのである。

 こういった【この人でなければ…】という、徹底してひとりの個人に対する執着心は、ユーラシア大陸を挟んで イギリスの反対側にある、同じ島国の日本にも、武士の時代である江戸時代に“心中もの”として開花する。「いっそ、『かなわぬ恋』ならば、ふたりで大川に身投げして、あの世で一緒になろう…。」という、あれである。実際、一推しの娘が抜けたから、ファンクラブ(&SKiのファンを)を辞めてしまう人は、多いようだ。

 話をブリテン島に戻すと、こちらの騎士は“心中”なんてせず(日本で心中するのは、侍でなく町人)、カッコよくお姫様を救け出したりする訳だが、よくあるパターンに 「王女や王様が呪いを掛けられると、その国全体が活気をなくしてしまい、畑は荒れ、家畜は病気になり、国民は貧しい暮らしをすることになってしまう。これを騎士が、呪いを解いたり、牢屋から救け出したりすると、国全体が活気を取り戻し、国が豊かになる。」という話である。
 これは、「その団体の代表が立派だと、その団体全体が立派な人であり、代表がダメだと、全員ダメ。」という考えである。[望月菜々]と[寿隊] の関係を例に、説明してみよう。

望月菜々  望月隊長時代の [寿隊] を、一度でも見たことのある人ならば、分かっていただけると思うが、望月菜々は寿隊の隊長として、望月菜々単体以上の魅力を見せてくれた。他の隊員のパワーを一身に集めて、何やら妖しいオーラを放っていたものである。「寿隊=(イコール)望月菜々、望月菜々=寿隊であり、菜々がコケれば寿隊もコケるし、菜々が居なけりゃ寿隊も存在しない。」望月菜々が卒業したとき、誰もがそう思ったものである。
 望月菜々と寿隊とが、等号(=)で結ばれるとき、「寿隊を応援すること=望月菜々を応援すること」という図式が成立する。

 このように、中世の吟遊詩人たちは、「ひとりの女性を愛することは、他のすべての女性を愛しているのと、全く同じ。」なのだと考え、個人対個人の身分や家柄よりも、本人たちの意志が尊重される、現在の“自由恋愛”の原型を形作っていった。その後、キリスト教の弾圧を受け、一度は根絶されてしまうのだが、今でもイギリスでは、すべての女性に親切であることが“紳士の条件”にされているのは、このような背景があるからです。

 さて、SKiを通じて、ソクラテス派の哲学や、吟遊詩人たちの恋愛観を見てきたわけですが、いかがだったでしょうか?

 ふと、自分のことを考えると、麗しの松田ゆかり君(ぎみ)を一推しに置いているのですが、もしもSKi以外で(例えば、学校の後輩として)松田ゆかりさんと知り合っていたとしたら、ふたりとも、何も話しかけないで卒業してしまいそうな気がする(笑)。逆に、SKiに松田ゆかりちゃんが居なかったとしたら、私は、ここまでSKiにハマることがなかったかも知れない。
 だから私は、紳士的にSKiを応援した上で、麗しの松田ゆかり君(ぎみ)に対しては、更にその10倍の情熱を以て、応援することに決めている。

 あなたは、どんな風にメンバーを応援しているのでしょうか?「一推し only you!」,「他のメンバー out of 眼中.」それとも、「歌が上手でも下手でも、頭が良くてもそうでなくても、背が高くても低くても…、みんな平等に応援する“仏のような(笑)”SKiファン」でしょうか。

[文:群馬県/知恵之輪士, 写真:夢野 雫]


vol.10目次