【第3回】SKi“母権論”
私が、女の子を評価するときの判断点は、ただひとつ。“笑ったときに、かわいいかどうか?”ただ、それだけである。理由は簡単で、自分は笑わない人間だからである。
例えば、6月8日のIJF3でデモ行進をしているとき、運よく松田ゆかりさんのすぐ後ろにつけたので、ニヤケながら、脳ミソの半分は、「(裁判所の真ん前の)日比谷公園でデモ行進をやっているが、○原被告の初公判の2日前(4月21日)に予定されていたコンサートが延期になったのと、何か関係があるのだろうか?」と、怪しいことを考えているので、100%心の底から笑ったのは、もう15年以上も昔のことである。そんな訳で、素直に笑う人が、ある意味で、うらやましいと思います。私みたいな、笑わない人間からすれば、笑うことができるのは、ひとつの“才能”だと思う訳で、実際“笑う”という行為は意外に難しくて、「バナナで釘が打てる」くらい寒いギャグを聞かされたとき、果たして笑うことが出来るのだろうか? 笑顔をつくるだけならば、そんなに難しくはないのだろうが、つまらないギャグはやはり笑えない。
意識的に、笑おうと思って笑ったり、泣こうと思って泣く。つまり、「感情をコントロールする」ということは、そう簡単には出来ないのです。
男性に比べると女性は、無意識的・感情的なので、論理的判断が苦手だったり、情に流されてしまったりする場合が多いが、逆に感受性については、女性のほうが圧倒的に高い。「何がそんなに楽しいのか?」と思うほど、よく笑う女子高生とかがいるが、我々が当たり前だと思っているようなことを、「楽しい」と感じられる感性は素晴らしいと 思う訳で、機械的に仕事をしているだけで、誰も笑わない世界というのもつまらない。
だから、女性特有の感性というものを、私は高く評価したい。楽しいとか悲しいと感じられる感受性を持っているならば、多少頭が悪くても(!?)、女の子は「笑ってかわいければ、それでいい」と、思っている。以前、ブリティッシュ・コロンビア大学 人類学及社会学部大学院日本文化研究科/文化アイドロジスト(←長い肩書!)の青柳 寛氏が、「自ら研究する制服向上委員会のライブに、(アメリカ・インディアンの)ズニ族の雨乞いの儀式にも似た感動を覚えた。」(〈SPA!〉1995/11/15号より) という発言をしていたが、その背後にあるのは、私がいま言ったようなことが隠れている。
雨乞いというのは、ほとんどの場合、植物の栽培に関係している。私は、このズニ族について何の知識も持っていないが、ネイティブ・アメリカン(←アメリカ先住民の意味。コロンブスが、アメリカ大陸をインドと勘違いしたのでインディアンと呼ばれていたが、今はこちらを使う。) の主な栽培植物といえばトウモロコシなので、多分そのための雨乞いだと思われる。こういった農耕中心の社会で、神話の中心に存在しているのは、産み・育む者としての“女神”である。男性の神が、神話の中心に出てくるのは もっと後の時代で、つくった作物を公平に分けたり、作業を分担して行うようになると、理性的に物事を判断できる、男の神様がリーダーとして登場するのである。
産業が発達するにつれ、合理的に判断をする男性神が力をつけていくことになるのだが、より原始的な社会では頭の賢さよりも、実際にモノを生産する女神のほうが重要とされていたのです。植物が、種から芽を出し、成長して実を結ぶのは女神の力で、それは男の神様が真似することのできない領域とされていたわけです。同じように、人は笑い方を教科書で学ぶのではなくて、生まれたときから知っているのです。SKiの特長は、青柳氏が言うインディアンの女神社会にも似た、“母権的体質”にあるように思います。と、いうのは、PTAコミティ(むしろ、高橋廣行プロデューサーというほうが適切か?)は、所属タレントの「感受性を育てる」ことを積極的に行っているようで、色々なアーティストのCDを聴いたり、世界中の映画を観ることで、感性を磨くことを奨励しているらしい。農業に例えると、「水と肥料をたっぷりと与えて、あとは芽が出るのを待つ」方法である。例の、「松田ゆかりは、事務所から映画を観に行くように言われたのに、キャッチ・セールスに付いて行って しまった。」とか、コンサート開演前に、SKiと一見(一聴?)すると無関係な[レット・ホット・チリペッパー]のCDが流れていたりするのも、実はそういうことらしい。
高橋氏自ら、〈オリコン〉のインタビューで、「一回の台風より、適度な雨と太陽が出て、一年経ってどういう風においしいものが出来ているかを考えたい。」とコメントしているので、間違いないだろう。こういった、目標とか課題を与えて訓練していくことよりも、自身の伸びる力に期待するやり方、つまり「教育」という言葉の、“教える”の 部分よりも“育てる”のほうに力を入れているのは、今の世の中では珍しく、この業界で積極的にやっているのは、私の知る限り、PTAコミティだけだろう。かつて、ジョーゼフ・キャンベルが日本を訪れたとき、「よく手入れされた日本庭園は、どこで自然が終わって、どこからが人工なのか判らない。これは、すごい経験でしたよ。」と、いう言葉を残しているし、P会報vol.16のゲスト・コラム欄で、音楽プロデューサーの大久保清志さんも、「プロでもなく、アマチュアでもない。まさに、SKi。」と、似たようなことを言っている。
SKiのメンバーも芸能人ですから、当然、歌やダンスのレッスンを受けて、「アイドルという職業」をしているわけですが、それでもコンパニオンやデパートの店員がよく使う“営業スマイル”とは違う、自然な笑顔を保っているのは、その“母権的な体質”があるためだと思う。
青柳氏が、いきなり「ズニ族の雨乞い」なんて言うから、ビックリした方も多いだろうが、私は思わず共感してしまった…。
謎のライター[知恵之輪士]
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