《あなたがいるから、ここにいる (3)》
1993年夏のSKiは、22か所で34回公演という、すさまじいスケジュールをこなしていた。メンバーも大変だが、追いかけるほうも大変だ。学生ならいいが、勤め人ともなれば、そうそう夏休みを取るわけにはいかない。かくして私は、「きょうは腹痛、あしたは頭痛、あさっては法事…」と、いった具合で、ありったけの有給休暇を使って休み続けることになった(苦笑)。
最初のうちこそ、「仕事はキチンとやって、コンサートは余暇に楽しもう」という、“健全な発想”があったのだが、そのうち、そんなものはどうでも良くなってしまい、私の生活は、確実に破滅へと向かって進みはじめていた(笑)。
思い出が書ききれないほどある、SKi一色の夏。覚えている方も多いと思うが、この年は記録的な冷夏であったため、プールや海へ行くことも全く無かったし、いま振り返ってもSKi以外のことは、ほとんど記憶に残っていないけど、とりあえず、その中でも特に印象に残っている、いくつかのイベントについて、日記風に書き出してみることにしたい。7月31日、平塚・クワトロード。
この日、私が会場に着いたときは、前田厚子,松田ゆかりの2名が、CDなどの“売り子”をしていた。買う人はほとんどおらず、即席の「撮影会」のようになっていた。販売が終わると、2人はショッピングセンターの中を、歩いて控室に戻っていったが、なぜか後を追うファンは、ひとりも居なかった。
ステージでは、吉田未来が『清く正しく美しく』を歌ったが、緊張していたのか、額にすごい汗をかいていた。
握手会では、藍田真潮がいつも通りに力いっぱい手を握ってくれた(さすがプロ!)。終了後、駅寄りの通路に居たら、私服に着替えた前田が、人ごみに紛れて駅に向かっていくのが見えた。“一般人”たちは、もちろん彼女が「アイドル」であることなど知るはずも無い。つい先程まで、ステージに立っていたことを考えると、何だかとても不思議な感じがした。8月7日、向ヶ丘遊園。SKi人気は、ものすごく高まってきているはずなのに、どういう訳か遊園地でのイベントとなると観客が少ない。この日も、70〜80名というところ。
“制服宣言(宣誓のほう)”では、宮本里枝子がトチってしまい、場内が凍りつく。他のメンバーが真っ青になっているのに、本人はあまり気にしていない風なのが面白かった。
客席のいちばん後ろでは、高橋廣行プロデューサーと中野成子社長に挟まれた格好で、近く入会予定の諸岡なみ子がステージを見学していた。諸岡は、その後“売り子”として物販スペースに立ったが、うつむき加減で なおかつ沈黙したままだったせいか、異常なまでに“神秘的ムードを漂わせた美少女(笑)”に見えてしまい、ファンの間にどよめきが起こる。
客席には、“ポンポン隊”が初登場。メンバーも笑っていた。私自身は、2回目のステージで、一推し・前田にレターとプレゼントを渡す。アイドルに対して、そのような行動を取ったのは初めてだったが、前田がほとんど無反応であったため、激しいショックを受け、帰宅後 寝込んでしまう(苦笑)。8月14日、多摩テック。会場に行く途中、日野市で《アウシュビッツ展》を観る。おびただしい数の犠牲者の遺品、犠牲者の身体の脂肪で造られた石鹸などを眼前にした時は、ものすごい衝撃を受けた。頭がボーッとした状態のまま、SKiのイベントに向かう。
遊園地内に入ると、「雨天のため、2回公演が1回になり、会場も屋内に変更」との貼り紙が出ていた。係員に教えられた場所に行くと、もう長い行列ができていた。最後尾に付いて待っていると、さっきの“アウシュビッツ”のことが思い出されてきた。いくら、時と場所を大きく隔てているとはいえ、同じ地球に生まれながら、石鹸にされてしまう人もいれば、こうしてコンサートの順番待ちをしている自分もいる。「何がここまで、運命を分けてしまうのだろう」などと、しばらく大真面目に考えていた。
やがて、ドアが開き、入場開始。大学の階段教室みたいな、ヘンな会場だった。コンサートが始まると、1曲目は、いつもの通り『はじめまして』。教壇みたいなところでメンバーが踊るのだが、とにかく狭い。「風車」をつくる場面では、“押しくらまんじゅう”状態(笑)。
全体的には、不測の事態を“深い”ファンたちとメンバーで共有しながら楽しんでいた感じで、ほのぼのとした 雰囲気が漂う、とても良いステージであった。【最終回へ、つづく】
[写真提供:兵庫県/三枝(みつえだ)さん, 文:東京都/桂木 明]
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