【第4回】クリスマス余話
“クリスマス”とは何の日であるか、みなさん知っていますか? 「イエス・キリストの誕生日」と答えた人は、正解だけど間違っています。実は、キリストの誕生日はハッキリ分かっておらず、12月24日から25日にかけて生まれたというのは、教会の人が勝手に決めたことなのです。
では、何故この日に生まれたとされたのは、一年のうちで最も日照時間の短い、冬至{12月22日}を過ぎて、昼間の時間が徐々に長くなっていくこの日に、日付が変わって新しい一日が始まる午前零時に、一度死んで復活する[キリスト]のイメージを重ねたのです(キリストは、しばしば、太陽と同一視されることが多い)。
今にして思えば、昨年のSKiは秋以降、1期生の卒業が相次いで決まり、コンサートを欠場するメンバーが増えてきて、10月のIJF2で事実上、1期生の時代は終わりを告げ、あとは衰退の一途を辿っていった。その当時、既に卒業の決まっていた [白石桃子] は、のちの卒業式の時、「クリスマス・コンサートには、出させてもらえなくて…」と、涙していたのを思い出す。
そして、年も改まった今年の1月15日、《はじめまして3期生委員会です》公演で、3期生たちによる、SKiの 新時代が幕を開ける。唐突だが、ここで[寿隊]の代替わりについての話をしよう。
新隊長の [菊地彩子] は背が高く、見た目のインパクトはかなり強い。だから性格も、和田アキ子(^^;;;みたいにハッキリとした人なのかなぁと思ったら、案外控えめで、それほど自己主張は強くない、いまひとつ個性のつかめないメンバーであった。
彼女のキャラクターをハッキリと認識したのは、彼女が[寿隊]の隊長に就任した時で、絶対不可能だと言われていた [望月菜々(現:井出百合子)] の後継ぎを、実に見事に務めていた。
[寿隊] というユニットは、望月菜々の強烈なキャラクターで引っ張っていったユニットだけに、隊長が代われば、全く別のユニットに化けると思っていたが、意外にも、菊地彩子率いる [新・寿隊] は、かなり忠実に、[(望月菜々時代の)寿隊] の雰囲気を受け継いでいると、私は思う。
一般に、芸能人に向いているのは、「自己主張の強い人か、逆に弱い人」と言われ、自己主張の強い人は、その個性を生かせばスターになれるし、反対に自己主張の弱い人は、その役になりきることが出来るので、役者に向いていると言える。この場合、前者の“スター”タイプが望月菜々で、後者の“役者”タイプは菊地彩子だと言えよう。
望月菜々は、個性が強いぶん、[寿隊]や[ばちあたりプッツンガール]のように、参加できるユニットは、だいたい限られてしまうのに対し、菊地彩子は、[Hellow]の“あの衣装”から、ウエイトレス・新撰組と、結構何でも似合ってしまうのが強みである。初めは、個性が無いと思っていたが、周囲に自分を合わせられる順応性が、彼女の個性なのだろう。菊地彩子は、何でもそつなくこなしてしまうぶん、少し決め手に欠ける感があるが、寿隊の強烈なインパクトを受け継いだのは、菊地彩子にとっても、そして寿隊にとっても、プラスのように感じられる。
個人的には、ユニットの代替わりの中で、いちばん成功したユニットのように感じている。こういった、代替わりによる生まれ変わりは、東洋全域でごく自然に、日常的な出来事として受け入れられてきたが、逆にキリスト教での復活は、神の子イエスと一部の信者の特権であり、“奇跡”なのであった。
この違いはどこから来るのかといえば、“喜び”と“悲しみ”のどちらにスポットを当てているかである。日本や中国・ギリシャなど、中緯度で四季が分かれていて、人間の住みやすい地域では、人生に対して肯定的で、「花は散っても、また来年咲くさ」と楽天的だが、他方、「自然は汚れている、人間は罪を背負っている」としたキリスト教では、苦しみからの救済が強調され、罪無くして死んだキリストの受難と、奇跡の復活として美化されている。と、ここまでは全部、前フリ(笑)。
本題に入ろう。[望月菜々] は、どうやら楽天的な日本人だったようだ。彼女のソロ・アルバム〈天国の場所=Place in the Heaven=〉には、おそらく卒業が決まってから書かれたと思われる、4編の曲が収録されている。その中で、「孤独な天使達」「恋すれば 胸痛むけど」「壊れかけた街の中から 一番好きな自分になれる」と、暗い詩と明るい詩とが、対比的に交互に繰り返されている。それらは、曲の中では反発しあうことも無く、まるでコインのように表裏一体となって展開されていて、「恋は本当 Crazy そこがいいの」「大嫌いな奴とも たまには遊ぶの」などのように、否定的な感情すら許容されているのだ。
望月菜々がSKiを辞めた理由は、歌よりも演技のほうをやっていきたいのだそうで、「SKiに入って歌の魅力に気づいたが、やはり自分は演技(女優)のほうがやりたい。」と、P会報に書き記している。「卒業式に流す涙は、悲しみの涙じゃなくて、3年間の感動の涙です。」と、コメントしているが、この場合SKiを辞める辛さは、“別れの 悲しみ”というよりはむしろ、“新しい自分を産み出すための、産みの苦しみ”ということになる。
我が国・日本でも、夏の暑さや冬の寒さは、自然の実りをもたらすためのものとして受け入れられてきた。望月菜々も、そんな日本人なのではなかろうか。
再び、アルバムの話をすると、『恋は雪のよう』は、恋人どうしの別れを描いた曲であるが、1番の歌詞は、「笑顔でさようなら」というフレーズで締めくくられている。普通、17才の女の子にこんな詩は書けない{同じ望月菜々作詞の、『あなたのイチゴミルク』と比べてみてほしい}。クリスマスツリーというのは、北欧神話の主神オージンが、木に首を吊り、仮死状態になって 地獄から魔法の文字を取ってきたのに習い、生きた人間を木にぶら下げる恐ろしい儀式を、キリスト教の宣教師がアレンジしたものである。
望月菜々も、SKiとの別れの中で、何かを見つけてきたのかも知れない…。