ハッ!Train


井出百合子 それから

 11月3日、私は早稲田大学・講義室の椅子の上に立っていた。たとえ、左に5センチでも動こうものなら、後ろから罵声と一脚が飛び、右に3センチでも動こうものなら、たちまち椅子からずり落ちてしまうという極限状態の中、ずしりと重い望遠レンズを構え、必死に椅子の上に立っていたのである。
 そんな状況ではあったが、私はファインダー越しに、ステージに立っているひとりの女の子を追っていた。原色鮮やかなスノボ・ファッションに身を固め、濃い目の口紅をつけたタレント[井出百合子]の姿を…。

 みんな判っていることで、私が今更ここに書くまでもないことではあるが、あえて書きたい。[望月菜々]は間違いなく、SKiが生んだ、最高にして最大の“天賦の才能”を持ったアイドルであった、と…。
 「へろへろ菜々ちゃん、くぅ〜! (by 7{セブン}で行こう!菜々ちゃん隊)」 かつて、コンサート会場に掲げられていた横断幕のセリフからも判るように、彼女のへろへろっとした喋り方、話し相手の懐に抱かれるような、人なつっこいMCは、〔こまばエミナース〕に集まった観衆の男心を、さわさわっとくすぐるような、聞いていてとても心地よいものであった。
 喋りだけではない。彼女の歌う歌も、とても素晴らしかった。『約束』,『16才』そして、『かなわぬ恋』。少女の傷心を、心の奥からしぼり出すかのような、それでいてどこか清々しい歌声。かと思えば、お茶目さを全開にした『ダンシング・セブンティーン』で、会場を一気にヒート・アップさせる。
 その姿は、メディア・ミックスで無理やり造り出された、才能のかけらも無いメジャーな連中では足元にも及ばない、まさしく“本物のアイドル”であった。そんな彼女が、SKiで才能を花開かせ、巣だっていったことを、“だめなひと”たちは、大いに誇りに思ってよいだろう。
 そして彼女は、新天地で敢えて新しい芸名[井出百合子]を名乗り、かねてからの自分の夢であった、アクトレス(女優)への道を歩き始めた…。しかし、「雀、百まで踊り忘れず」である。名前は変えても、キャラクターは今までと全く変わらなかった。やはり、“天賦の才能”を隠せるはずが無いのである。
 ある時、〈投稿写真〉のイラストコーナーに、このような言葉があった。
 「さようなら、望月菜々さん。こんにちは、井出百合子さん。」
 彼女に対しての、最高のはなむけの言葉だなぁと、私は思った。

 事は、出演者4人が参加した《ゲーム・コーナー》の時に起こった。出題は、イントロ・クイズで、解った者がステージ中央のスタンド・マイクに駆け寄り、その歌を歌うという、単純なものである。
 ゲームも中盤に差しかかったころ。「さぁ、次の曲です!」 イントロが流れ始めたその瞬間、会場から大きなどよめきが起こった。少し荒っぽいサックスの音。『同級生』のイントロだ!!
 井出は当然のこと、森下純菜も解ったようだ。だが、森下はわざと席を立たない。「ここで、井出百合子が歌ってくれるのを、会場のみんなが期待している」のを知っているからだ。
 ファインダーを覗きつつ、私は「あれっ?」と思った。井出百合子が、マイクに向かうのを躊躇しているようだったからである。それは、「なんだか、面映ゆいから」躊躇していたのではなく、「なんで、今更…」って感じであるかのように見えた。けれども、会場の熱気に押された彼女は、マイクを持ち、歌い始めた。「♪ そよ風が吹く あたたかい朝 (「菜々ちゃ〜ん!!」)
 当然、観客は(一部のカメ公を除き)ほとんど全員が、「菜々ちゃ〜ん!!」コールを絶叫したのである。その絶叫は、もう二度と出来ないと思っていた“菜々ちゃんコール”を、再び出来るという感激と、「コイツが、本当のやり納めだぁ!」という気迫のこもったもので、たちまち会場は強烈なコールの渦に包まれた。そして、それは、井出百合子がぎこちなく振りを交え、“菜々ちゃんスマイル”で1番の歌詞を全部歌いきるまで続いたのである。

 その時私は、井出百合子の瞳がこう訴えかけているような気がしてならなかった。
 「私はもう、SKiの望月菜々じゃないのに…。井出百合子として、ステージに立っているのに…。」
 もちろん彼女も、この日会場を埋め尽くしたファンのほとんどが、SKi時代からのファンで、井出百合子と名前を変えても、自分に求められているものは変わっていないということは、百も承知であろう。
 しかし、この日の彼女は、[望月菜々]を踏襲しつつも、新しく[井出百合子]として出発した自分を見てもらいたかったはずである。“菜々ちゃんコール”は、そんな彼女にとって酷ではなかったかと思う。

 「アイドルの成長と、イメージの変革…。」
 コイツは、アイドルファンが抱える根本的な命題であり、永遠に解決されることのないジレンマである。特に、SKiファンは、この手のジレンマから避けて通る傾向が強いような気がするが、アイドルのファンを続けていく以上、私たちは その現実に目を背けることは出来ないのである。
 そんな中、従来のイメージを踏襲してくれた、井出百合子という女の子に対し、私たちは最大級の感謝の意を込めて、井出百合子へ声援を送り続けるべきではないだろうか。私は、阪急ブレーブスが、オリックス・ブルーウェーブに名前を変えても、素晴らしいプレイを見せて、ついに頂点へと登り詰めたように、井出百合子は“へろへろスマイル”で、私たちの心をいつまでも和ませてくれ、やがては、ひとかどの女優として、より多くの人たちに夢を与えてくれることを信じている。

 だ・か・ら…。
 「こんにちは、井出百合子さん。」

<P.S.> やっぱ(c)、井出百合子って名前は、言いにくいなぁ。菜々ちゃんって、ついつい言っちゃいたくなるよね。

[文・写真とも:大阪府/Be-Wave]


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