【第7回】SKi“父権論”
ユダヤ教,キリスト教,イスラム教といった、父権的一神教の興った、シリアやアラブなどの砂漠の国々で、最も大切とされたのは“社会性”であります。 それは、砂漠という環境が、人間が生活していく上で非常に厳しいためであり、そのような環境で生きるためには、それぞれ部族を作り、集団化する必要がありました。そこで最優先されるものは、個人の自由ではなく、“部族の掟(おきて)”であった…。
というわけで、今回は“制服宣言”を掲げる、「SKiの規則」について考えてみたいと思います。
日本や中国・地中海のギリシャなどでは、神話はおもに“多神教”であり、「アミニズム」と呼ばれるものには魂が宿っているという考えが存在していた。
中緯度の四季がある地域の農耕中心の文化では、気温の変化や雨量が直接、作物の収穫量に影響を与えるので、人々の興味の中心は“自然”であった。
神話も、自然を基準に創られ、太陽は日本で「天照(アマテラス)」と呼ばれ、ギリシャでは「アポロン」と呼ばれた。
それに対し、四季のない砂漠に暮らす遊牧民は、自然にあまり関心を示さなかった。一年中乾燥した砂漠では、今日の 天気がもたらす恵みはほとんど無く、その厳しい環境でどうやって生き抜くか、つまり自然よりも人間の理性のほうが優先されたのである。
ペルシャで興った二神教[ゾロアスター教]の教義の中にも、そのことが読み取れるが、この何世紀も前に消失した宗教は日本人にはあまり知られていないようなので、簡単に説明しておこう。
世界を創ったのは光と闇の神で、光の神は善であり、人を良い方向に導こうとするが、闇の神は悪であり、逆に悪い方へ導こうとする。光と闇の神たちは、世界中で戦いをしていて、我々人間はいつもその争いに巻き込まれてしまう。
そんな時は、光の神の声に耳を傾け、闇の神の悪い誘いを遠ざけるのが、正しい生き方である。この戦いは、世界の終わりまで繰り返されるが、最後に光の神が勝利して、その後には正義の支配する素晴らしい世界が訪れることだろう…。
このゾロアスター教の光の神と闇の神こそが、聖書に登場する、“天使と悪魔”のモデルであり、その最後の戦いというのが、黙示録の“ハルマゲドン”の原型であります。後に現れるキリスト教やイスラム教に、多大な影響を与えたゾロアスター教の大元は、光と闇の戦い、そして光の勝利という、「人間の理性こそが、最上のものである」との考えであった。
キリスト教の「天に在(ま)します、我が父よ」という祈りの言葉は、クリスチャンでなくとも一度は耳にしたことがあると思うが、「(キリスト教の)神は天の彼方にのみ存在し、地上には決して存在しない」のである。日本では、山には山の神が、川には川の神が住み、太陽が「天照」であったのに対し、キリスト教の神は、遙か天の上に住んでいるのであります。
聖書の有名な言葉「最初に言葉ありき」に見られるように、キリスト教で世界を創ったのは神の言葉であり、神は自然を超越した存在と考えられた。だから、山にも川にも神は存在せず、太陽も神ではなかった。神は奇跡の存在であり、人間は聖書の言葉を読むことによってのみ、神に近づくことができると考えられた。
そうしたキリスト教の精神は、ヨーロッパに合理的精神をもたらし、文明を大いに発展させたが、キリスト教以前にヨーロッパに広く存在した「母なる大地」の考え方は、全面的に否定されてしまったのである。
SKiというグループは、かなりしっかりとしたコンセプトを持っているように思えるが、それはどのようなものだろうか?
実は、初期のSKiには、お揃いの制服(衣装)など存在しなかった。私の知る限り、全員揃った制服での登場は、95年のクリスマス公演〔北沢タウンホール〕だったように思う。
今でこそ、“集団美”を意識した制服も増えてきたが、「制服の統一化」という現象が起こる一方、ステージ構成そのものは、メンバーの個性が表に現れるようになった点で、なかなか興味深い。
そんなSKiの理念というものは、紀元前6世紀のペルシャ帝国・キルス大王の理念に類似を見ることができる。
再び、紀元前の中近東に話を戻そう…。
今も昔も、イスラエルをはじめ、レバノン,アラビア,イラン,イラクといった国々では、戦争など日常茶飯事で、侵略されては侵略する生活が続いている。
紀元前のアッシリア帝国の侵略の方法は二つあり、一つ目が、占領して相手を奴隷にする方法。これは、奴隷たちが度々反乱を起こすのが欠点。もう一つは皆殺し。ただ、奴隷という“労働力”が手に入らないのが難点でもある。
そこで考えられた第三の方法は、奴隷たちを全く見ず知らずの土地に送り込み、「母なる大地」から切り放してしまうやり方で、文化や習慣,民族性を根こそぎ奪い去る、“非人間的な奴隷支配”である。アッシリアは、約150年もの長きに渡り、この方法で支配を続けてきたが、滅ぼされた国の一つ・バビロンが復活し、今までの恨みとばかり徹底的に破壊し尽くされたのである。
中近東では、その後も「民族ごちゃまぜ」の時代が続いたが、そこへ侵攻してきたペルシャ帝国の大王・キルスのやり方は、全く違うものだった。
キルスは、制圧した国の王を、殺したり拷問に掛けることはせず、そのままその国の領主に任命して土地の支配を委ねた。今でいう“地方分権”の先駆けともいえる理念を持った彼は、アッシリアが占領した時とは違い、大した人気を得て、バビロンへ進軍した際には「ぜひ、占領してくれ」と招き入れられたそうだ。彼自身は、ゾロアスター教の信者であったが、他の宗教の信仰を認め、自らそういった異教の神々の像にも頭を下げたのである。
キルスのとった方法は、それぞれの地域性,民族性を尊重したものであったが、これを「民族性」から「メンバーの個性」へと言い換えれば、ほとんどそのままSKiに当てはめることが出来るだろう。
まず、SKiのデビューが“アイドル冬の時代”であったこと。
正統派アイドルがほとんど存在しない中で、あえて「正統派」で誕生し、また「大手レコード会社はアイドルに冷たい」として、自主流通(インディーズ)のレコード会社[アイドル・ジャパン・レコード(IJR)]を設立した経緯を見れば、SKiが「アイドルによる、アイドルのためのアイドルグループ」であることが分かる。
“アイドル”。それこそが、SKiの土台である。しかし、そのアイドルというものが(SKiの場合)、キリスト教的な「〜のように、しなければいけない」というものでは無かった。メンバーがよく辞めるところなどを見れば、SKiにはかなり厳しい規則があるようだが、一方では、そういったメンバーチェンジに対応して、ステージ構成を変えていける「柔軟性」をも兼ね備えていた。
では、【SKiの理念】とは何なのか?
それは、旧ソビエトの「国家のもとに、人間はすべて平等」というものではない。SKiでは、それぞれの個性が尊重されている。かといって、アメリカ型の「I am No.1」と、それぞれが主張する“競争型共同体”とも違う。大王・キルスの、それぞれの民族性を認めた上で、ペルシャ帝国として一つにまとめていこうという理念が、最も近いように思える。
だが、キルスのそれとSKiの間には、いくらかの違いがある。キルスは、帝国の支配者として“強大な権力”を持っていたのに対し、有限会社PTAコミティ{SKiの所属事務所}は、巨大な音楽業界の中の“ちっぽけな事務所”に過ぎないという点である。キルス大王は、政治的にそれをやったのだが、SKiは、「自分たちの手で」それを行おうとしている。
SKiの持つイメージも、最初の頃とはだいぶん変わってしまったが、それでも「清く正しく美しく」が死んでしまった訳ではない。結成当初の理念は、今もなお、形を変えて生き続けている。SKiというグループの理念は、キリスト教などの“父権的一神教”のように、理性と自然とが反発しあうことは起きなかった。
「清く正しく美しく」。それが、メンバーのひとりひとりを押しつぶしてしまうような、そんなプレッシャーになることは無かったのである…。
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[群馬県/知恵之輪士]
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