《[終章 =エピローグ=]から、[序章 =プロローグ=]へ…》
1997年2月9日、ついに来るべき時が来てしまった。諸岡なみ子ちゃん,篠原智子ちゃん,松本美雪ちゃん,早乙女こずえちゃん,片桐陵子ちゃん,広川瑛子ちゃんの6人の卒業式です。特に、陵子ちゃんの場合、そのニックネームを考案したのは私(だから“りょんりょんの人”と名乗っている訳です)とその友人であったり、握手会でも丁寧に応対してくれたり、心の広い優しい娘でした。純粋で、客席から見ていても、「この娘だけは、放っておく訳にはいかない」という気持ちにさせるような娘でした。
確かに、片道3時間半もかけて事務所まで来て、レッスンを受けるというのは、さぞかし大変なことだっただろうと思います。それと、これは推測になりますが、SKiのメンバーの中で、友達は小林久子ちゃんひとりだっただろうと思われます。陵子ちゃんは、あまり憶えが良くなかった(失礼)ようですし、他のメンバーに(それに対して)冷たい態度をされ、相手にされなくても仕方なかったと思います。何といっても、毎月コンサートがあるわけで、それに間に合うようレッスンをしなければなりません。陵子ちゃんのように少し遅れ気味の娘は、他のメンバーとコミュニケーションが取りにくいこともあったと思います。
でも、陵子ちゃんは1年もの間、よく我慢し(って、ホントは陵子ちゃんはSKiのことが好きだったと思いますよ…)、頑張っていたなと実感しました。なかなか上手くいかない振り付けも、「“りょんりょんらしくて”いいな」などと思って見ていた私でしたが、その蔭では相当な悩みや努力(長距離通勤や学業との両立)があったはずで、いかに私が楽観的な考えでいたことを(今となってはもう遅いかも知れませんが)反省しています。あの“場を和ませる”話し声が聞けなくなると思うと、今でも卒業式の時のことを思い出す度に、悲しくて悔しい気持ちになります。
《カウントダウン》が一段落した《卒業式》の場面では、思わず涙があふれ出て止まりませんでした。馴染みの深い二期生が3名も辞めてしまったことも、その原因の一つかも知れません。みーつー[松本美雪]や こずえちゃんは丁度、私がSKiファンを始めて少し経った頃に入ってきたメンバーでした。そのためかどうかは分かりませんが、二期生と共に今までやってきて、確かに一推しではなかったにせよ、その思い入れ具合は三期生と同じくらいにあります。
みーつーは、95年7月の寿隊公演の頃がとても可愛らしくて最高でしたし、智子ちゃん,こずえちゃんと共に[静寂向上委員会]を支えていって、約1年(滝本久美ちゃんがリーダーの頃も含めると2年ですね。“時の流れ”は早いものです)やり通してくれたのですから、高く評価してあげたいと思っています。あと、智子ちゃんボーカル・みーつー,博子ちゃんコーラスの『うたかたの夢』はとても素晴らしく、今後この3人で歌うのを聴けない,見られないのは寂しい限りです。
何かと思い出がありすぎて書ききれないほどですが、95年のクリスマス公演の握手会の時も、みーつーは(もちろん博子ちゃんも)気軽に優しく応対してくれましたし、昨年の《謹賀の宴》撮影会ではポラ撮影・ジェスチャーゲーム(お題を言うのがみーつーで、それに博子ちゃんが答える)などをしたりして、とても楽しかったことを憶えています。
6月の〔日比谷野音〕のFC撮影会でも時間が無く、みーつーに対しては1枚しかシャッターを切れなかったのですが、目線バッチリで私にとびきりの笑顔をくれ、すごく出来栄えの良い写真になりました。だから、今まで本当にありがとう。
でも、「さようなら。お疲れさまでした」と心から言いたいです。束の間の夢を、私たちに与えてくれて…。“夢”って本来、自分自身でつかんでいくものだと思いながら生きてきた私ですが、彼女たちは私に“夢”を与えてくれました。
ここで、辞めた三期生の娘に話を戻します。
瑛子ちゃんのことですが、大検の試験科目が11もあり、到底SKiとの両立が難しいということが辞める理由でしたよね。私は浪人しているとき、代々木ゼミナールの千駄ヶ谷校に通っていました。ここは、大検から大学受験を目指す人のための校舎で、ホントは代々木校で生のゼミ{講師が直接、教室で講義する授業}を取ろうと思ったのですが、運悪く定員締め切りとなり、“サテライン(衛星中継)”と呼ばれるゼミで勉強していました。ここで感じたことは、自習室が大変静かで、みんな大検に受験にと猛勉強していました。代々木校では感じられない、切羽詰まり追い詰められている様子が、手にとるように分かります。彼らは、大検と大学受験の二重苦なのですから、瑛子ちゃんも同じく大変な日々を送っているものと思います。
また、大検の出題は非常に難しく(休憩中の人にテキストを見せてもらったのですが、あまりの難しさにビックリしました)、困難な道であることは確かです。これでは、芸能活動(SKi)との両立など無理なはずです。(確か)高校3年の7月までに大検に合格して、ようやく受験勉強となるのですから、それはそれで大変です。
いよいよ、私が一番言いたいことを述べます。
それは、《'96 カウントダウン100》の2位の発表の前の、博子ちゃんのMCのことです。内容は、「(SKiを)辞めることが決まると、ロクに練習をしなくなってもステージに上がったり、他のメンバーの邪魔をする卒業生が絶えず、そのために今日のコンサートでも、いくつかのユニットが(出演)出来なかった」というものでした。これには多分、瑛子ちゃんや陵子ちゃんのことも含まれているでしょう。
しかし、この博子ちゃんの発言は、正論ですが大きな誤りをしています。瑛子ちゃんも陵子ちゃんも、みんなホントはレッスンをしてステージに立ち、ユニットもやりたかったに違いありません。でも、もうふたりは力尽き、心身共に参ってしまったため、それが出来なかっただけなのです。
それを批判するリーダー・博子ちゃんは、何も理解していないと言われても仕方ないと思います。これでは、リーダーとして失格ではないでしょうか?
もちろん、私が理想主義的なことを述べているのは分かっています。高校2年の、まだ16,7歳の娘に「理解しろ!」といっても、それは無理な注文だと思います。ですからその部分だけは、次の公演の時かFC会報でもいいから、きちんとその真意を伝えてほしいと思います。それが、リーダーの務めだと思いますし、博子ちゃんにはそれだけの期待を込めているので、決して単なる批判ではありません。
おしまいに、今後のSKiについて述べたいと思います。
まぁ今回も、大量に四期生が入りましたねぇ…。いま、私が目を付けている娘は二人しかいませんが、「一体、SKiは どうなってしまうんだ?」ということです。というのも、今度入会した四期生は中学生が主体で、在籍生12人{2月9日現在}との年齢差が約3歳{2.77歳}もあるのです。しかも、まだ入ったばかりで、よく分からないことも多いかと思います。
四期生紹介のコミティビデオで、久保 愛ちゃん,斉藤美緒子ちゃんなどの話から推測すると、あまり(歌や振りとかの)憶えがよくないようです。とすると、リーダー・SKi-P・宮田直美ちゃんあたりに大きな負担がかかることは、容易に想像できます。
また三期生は、四期生とのコミュニケーションも上手く取れるようにせざるを得ないでしょうから、この“年齢差”をどう克服するかが、今後の課題だと思います。コンサートの時も、ふだん事務所でレッスンをするときも、在籍生と仲よくやっていけるのかが心配です。
しかし、前向きに考えれば、これだけたくさんの人数が一度に入れば、新しいユニットも続々と誕生するでしょうし、そのレベルも上がることと考えられます。四期生の頑張りと、在籍生の実力とがかみ合えば、きっとSKi史上最強の顔ぶれとなることでしょう。
私も、辞めた娘のことをあまり引きずらず、在籍生は当然のこと、新しい四期生も応援していきたいと思います。
みんながんばれ、これからが本当の【プロローグ】だ!
[埼玉県/(りょんりょんの人 改め)ミミへの夢追い人]
《いつか、きっと》
卒業式が終わり、何人かの子が卒業していった。
しかしその一方で、卒業式の前にひっそりと辞めていった子が4人もいた。
やっと顔を覚え、握手もしていたのに、あれが最後になるなんて。
みんな期待していたのに、ここで終わってしまうのは悲しい。
卒業式で、博子ちゃんがその一人の子の手紙を読んだ。
前向きの希望をもっていたのが、唯一の救いだった。
いつか彼女達に、また逢えるといいね。
[東京都/ホーカー・テンペスト]
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