恋をしようよ


《松田ゆかりとの夢の旅》

 これから、少し奇妙な話をしたい。
 私が初めて、松田ゆかりさんに出逢ったのは、実際に顔を会わせる3ヶ月前のことだった…。

 その日、私は夢を見ていた。その夢の中で、ひとりの長い髪の女性に出逢う。私が名前を聞くと、「ヨイ」だと答えた。「ヨイ」は漢字で書くと、「宵」ではなく「良衣」なのだそうだ。
 その後、良衣さんに案内されて、彼女の父親に会った。50代後半の温厚な紳士で、大学の教授をしているとのことだ。
 この組み合わせは、スイスの心理学者[カール・グスタフ・ユング]の提唱する、アニマとオールドワイズメンのイメージにぴったりと符合する。これは、人類の誰もが持っている無意識的なイメージで、アニマというのは男性の中の女性性(女性の中の男性性はアニムスという)のこと。また、オールドワイズメンというのは直訳のとおり、老賢者のイメージである。
 ユング自身、この若い女性と老賢者の夢を何度も見た、と自伝の中で述べている。そしてアニマは、「無意識からのメッセージ」を運んでくるとも書いているので、この夢は自分にとって意味のある夢のように思え、深く印象に残っている。

 その夢から3ヶ月後、新曲『エメラルドの伝説』のキャンペーンを池袋のサンシャイン・シティへ見に行った。そう、私が最初に松田ゆかりさんに出逢ったときである。わらわらとステージに上ってきたメンバーの中で、まず視線を奪われた相手が、ゆかりさんだった。
 第一印象は、「この娘、ぜんぜん目立ってないな…」。これは、明らかに不条理なことだった。最初に一番目立っている人に目が向くのなら分かるが、何故に一番目立たない人間に視線が釘付けになってしまったのか、未だに納得がいかない。
 さらに2日後、地元・群馬の《桐生八木節祭》にSKiが出演すると聞いたので、自転車で1時間半かけて会いに行く。
 祭りは、メインストリートの本町通りを通行止めにして行われていて、私はここを何往復もしてSKiの登場を待っていた。しかし、その頃彼女たちは、本町通りから少し離れた〔桐生市中央公園〕のステージの上で歌っていたのである。
 ローカルな話だが、「桐生は日本の機(はた)どころ」ということで、この日のメンバーは全員“浴衣”を着ていたらしいが、そんなこととは露知らず、私は延々8時間、50km以上を歩きつづけて、遂に膝が曲がらなくなってしまったため、あきらめて家に帰ることにした。自転車のほうが膝にかかる負担が少ないのだが、「また一時間以上も自転車を漕がなければ、家にたどり着かないのか…」と考えると、気が遠くなった。
 しかし、ここで何を血迷ったのか、私は自宅とは逆方向へと向かって走りはじめた。どうしてだか分からないが、目の前に現れた公園に人々が集まっているのを見たとき、直感的に「今ここで、SKiが歌っている!!」と確信して、公園に飛び込んだ。夜風が、人波を越えてメロディーを運んでくる…。

 出来すぎた演出であった。肉体的な限界を越えてたどり着いたその場所で、宵闇の黒いヴェールをかぶったステージの上に、目映いばかりのスポットライトに照らしだされたゆかりさんのその姿は、他に例えようのないほど“神秘的”なものとして、私の瞳(め)には映った。

    「宵ですか?」
    「良衣です」
 あの、3ヶ月前に見た夢が鮮烈によみがえる。今にして思えば、[良衣]という名前も、何か“制服”のことを暗示していたかのようである。果たして、あの夢が“予知夢”だったのか、それともただの偶然だったのかは、私には分からない。
 だがそれは、一生忘れる事など出来ない、実に神秘的な体験であった。
 その後も、あの良衣という女性と、その父親の夢を何度か見た。良衣という女性とゆかりさんは、イメージ的に重なる ところが多いのだが、もう一方の老賢者に対応する人物は、明らかにジョーゼフ・キャンベルだと考えられる。氏は、セイラー・ロレンス大学で講師を務めていた神話学における第一人者のひとりで、映画監督のジョージ・ルーカスが〈スターウォーズ〉シリーズ三部作を制作する上で、氏の著作からヒントを得たとして、ルーカスが自宅での試写会に氏を招いたというほど逸話のある人物である。
 キャンベルは、「神話はメッセージである」と言っている。いわゆる“昔話”というやつは、楽しみのために書かれたものであるが、“神話”は内側に秘められた存在を、他人に伝えるための隠喩であると言っている。奇しくも、神話のメッセージを語る老人と、メッセージを伝えるアイドル・SKiが私の前に現れたのは、ちょうどあの夢の前後であった。
 キャンベルが、その試写を見た後、「これは、ゲーテが『ファウスト』の中で使っている言葉で、ルーカスはそれに現代語の服を着せている。科学は、我々を救いはしないというメッセージだ。コンピュータも機械器具も、そんなものは十分ではない。我々は、自分の直感に自分の真の存在に頼らなくてはならない。」と、そんなコメントを残している。なるほど、それでルーカスは、主人公のルーク・スカイウォーカーを、機械帝国を操る機械の仮面をかぶった自分の父親と戦わせたのか…、と納得する。

 それを踏まえて、『若き知恵を讃えた天使たちの詩』の歌詞を見てほしい。
    遙か宇宙の果ての 謎は生きてる証と言っても
    誰かきっと 答えを見つけるはずさ
    いつか科学の力 人の努力と知識が勝っても
    明日が見えた わけではないよ

松田ゆかり  明らかに、ほぼ同じことを言っている。キャンベルの言葉で言えば、「ゲーテの言葉に、SKiはアイドルの衣装を着せた」ということができるだろう。
 今のは、ほんの一例で、キャンベルの著書の内容は、SKiの歌や振り付けの中に数多く見ることができる。
 キャンベルは、「神話は世界の夢」だと言った。我々が夜見る夢は、掘り下げていけば必ず“社会的問題”に突き当たる。
 例えば、A君がB君に学校でいじめられたとする。家に帰り、夜寝ているときに、B君にいじめられている夢を見たとしよう。普通に考えれば、昼間の出来事の再現ということになるが、今や“いじめ”は社会問題にまで発展している。また会社でも、上司と部下の間で似たようなことが起こることも珍しくない。さらに、部落差別や人種差別なども、本質的に同じと考えれば、A君とB君の個人的問題と言い切れなくなってしまう。A君がB君のいない学校に転校したとしても、別の誰かにいじめられるかも知れないのである。
 神話は、そういった社会的問題をも扱っている。ギリシャ神話の オルフェウスが、亡くなった妻を探しに地獄に行くという話があるが、日本にも、亡くなったイザナミに会いに、イザナギ神が死者の国へと行く話がある。
 他にも、世界中に似たような話がたくさん残っているが、“親殺し”も神話の基本的モチーフである。ギリシャのゼウスは、自分の父親のクロノスを殺して、神々の王になる。北欧神話のオーディーンも、親である巨人・イミルを殺して、その体を使って世界を作ったとされ、ペルシャのマルドゥークも同じように、母親ティアマトを殺して、その体で世界を作っている。
 神話でいう親殺しとは、“自立”を指し、「親の助けがなくても、一人で生きていけるよ」との証明であります。だから、ジョージ・ルーカスは映画〈スターウォーズ〉の中で、主人公 ルーク・スカイウォーカーが彼自身の運命への決着として、父親との対決というストーリーを用意したわけです。

 すでにこの世を去った、ジョーゼフ・キャンベルの“目に見えない精神世界のガイドブック”は、「紀元前の昔に生きて いた人間も、自分と同じようなことで悩んでいたのだ」という事実を、神話という壮大なスケールで私たちに示してくれた。
 それに対し、同じ時代に生きる一人の人間という、もっと物質的な世界で、キャンベルの語ってくれたものを私たちに見せてくれたのが、松田ゆかりさんである。
 こうして私は、「石器時代の壁画の女神」から「20世紀のアイドル」までの長い歴史を、偉大な賢者・キャンベルと、麗しのゆかり君(ぎみ)という二人のナビゲータによる“一気に駆け抜ける時空の旅”として、わずか数ヶ月の間に行うことができた。
 いま、本誌に〔知恵之輪士の SKiを読む!〕なんて連載をしているのも、こういった経験に基づいてのものなのです。アイドル嫌いの書き物嫌いだった私が、ミニコミの原稿を書いているだなんて、かつては想像すらできなかったのに、今のこんな自分も結構気に入っているので、松田ゆかりさんには最大の敬意を払わなくてはならないだろう。「どうやって恩返しをしようか?」と考えてみるが、結局マメにコンサート会場に足を運んで応援することくらいしか思い浮かばないので、そうしている。

 私と松田ゆかりさんとの出逢いは、状況・タイミング双方とも完璧なもので、これも奇妙な縁だと思うが、「縁(ゆかり)」とは「人の和と人の和をつなぐ」もの。私は、そんな縁を大切にしたいと思い、輪と輪をつなぐ“知恵之輪士”と名乗っている…。

[文:群馬県/知恵之輪士, 写真:みのる]


97年6月号目次