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初代リーダー・吉成圭子の引退について

吉成圭子  この度、SKiの初代リーダーだった吉成圭子さんが、引退することになった。結成当時からのメンバーで、SKiの生き証人というか、そもそもSKi自体が彼女のためにつくられたとさえ言われている。最近はステージに立つことも少なくなり、事実上の卒業状態だったとはいえ、正式に引退するという話を聞いて、「ひとつの時代が終わったんだなぁ」と感慨深い思いがした。

 初期のSKiは、まるで[吉成圭子と制服向上委員会]と言ってもよいくらいだった。
 センターヴォーカルの大半は彼女が務め、他のメンバーがヴォーカルの曲になると引っ込んでしまう。バックダンサーはほとんどせず、ましてやポンポン隊など言語道断というところだった。ただし。『ゴジラ・ソファミレド』だけは藍田真潮のバックダンサーをやり、またその振り付けがとてもかわいかったのが印象に残っている。
 私も、初めてSKiを見た時(93年夏)は、まずは吉成さんに目がいった。とてもかわいいし、いつもセンターにいるんだから、そうなるのは当然だ。しかし、一番気になったのは彼女の年齢だ。サブリーダー格の青山れいと奥山みかが高3だというから、当然それよりは上のハズだ。いったい何歳なんだろう?と思っていたら、なんと21歳だという。幼い顔立ち・小柄な体からは、その年齢はとてもだけど、考えもつかないことだった。
 しかし、かわいい割に発言はなかなか容赦がない。93年夏の《真夏の祭典》では、脱退した3人のメンバーについて語ったあと。「3人のファンだった人は…、私のファンになって下さい」と言ってしまい、思わず仰天してしまったことがある。
 曲の方では。『清く正しく美しく』『笑顔がスキッ!』『ともだち』『恋をしようよ』など、主要な定番曲はだいたい彼女がセンターヴォーカルだった。その歌声は甘くソフトで、何とも言えない独特の味があった。ある人に言わせると。「菊池桃子をもう少しうまくしたみたい」なんだそうだ。

 当時のSKiナンバーは、今ほどアップテンポではなく、詞の内容もおとなしかったので、吉成さんの歌声にはピッタリだったと言える。
 グループでヴォーカルをとるだけでなく、ソロの曲も多かった。吉成さんと言えば、まず『明日への勇気』を連想される方も多いかと思うが、彼女の本領はむしろ。『恋』とか『月の輝く夜に』のようなバラードにあったと思う。今や日本のポップスシーンは小室系などに占められ、アイドルポップスの入り込む余地はほとんどないように思われる。そんな中にあって、彼女の歌声には、古き良き時代を偲ばせてくれるノスタルジックな魅力があった。
 94年秋以降は、次第にSKiのコンサートには出なくなり、リーダーの座も青山れいに譲った。ある意味、「フェードアウトした」という感じもするけど、突然の脱退に驚かされることの多いSKiにおいては、うまく権限移譲ができた珍しい例ではないかと思う。
 その後、リーダーの座は青山れいから諸岡なみ子、本田博子と移っていった。だからといって、今のSKiは[本田博子と制服向上委員会]とは言えない。リーダーの博子ちゃんも、きちんとバックダンサーを務めている。そういった点で、吉成圭子という人が当時のSKiにおいていかに大きな存在であったかということが、今更のように実感できる。それは、ほとんど“吉成王国”とでもいうべきものだった。

 1972年生まれの彼女は、今年で25歳。もはや、メンバーの中にも干支がひとまわり違う娘が入っているから、ちょうど潮時だったのかもしれない。でも、野球界で例えれば、日本ハムの落合、オリックスの佐藤、広島の大野のように、現役で頑張って、アイドルの“年長記録”に挑戦してほしかったという気持ちもある。
 いずれにしろ、引退は吉成さん自身で決めたことなんだろうから、今後は新しい「君だけの道」を歩んでほしいと思う。

[写真:東京都/佐藤 昇・文:論説委員■本間 寛]


97年8月号目次