恋をしようよ


君は僕の宝物

 小さいころ、友達とかとよく、野山や河原を駆け回り、木の実やくだらないガラクタを見つけてきては。“宝物”と称して集めたものだった。そして家に持ち帰り、大切に机の引き出しに保管する。
 いつしかその数もだんだんと増え、引き出しの一角を占拠するようになる。木の実・ビー玉・メンコ・オハジキ・駄菓子屋のおもちゃ…。いろいろな物が転がっている。たとえそれが、どんなにつまらない物であっても、「それは僕の宝物」。

松本美雪  時は流れ、興味は他の物へと移っていく。プラモデルだったり、ゲーム機だったり。引き出しの一角に陣取るガラクタたちも、以前ほどの執着がなくなってしまう。とはいえ、引き出しに転がるガラクタたちを見つけると、野山を駆け回ったあの日を思い出し、なぜか安心する。
 ある日、ガラクタの一部が無くなっていることに気付く。
 「最近、それで遊んでないでしょ? だから、従兄弟の○○ちゃんにあげたのよ」なんて母親に言われる。特に必要な物ではなかったけれど、無くなると淋しい。使ってないからといって、必要でない訳ではない。悪気はないのだろうが、母親にはよく抗議したものだった。
 ホントに大切な物って、使っているときよりも、無くなってからその重要さに気づくんだよね、もう遅いけど…。
 そして引き出しを開けると、いつもビー玉があった場所に淋しい空間が広がっている事に気付く。散らかっている引き出しの中、いつの間にかその配置は乱れて変わってくる。更に“宝物”は数を増し、以前の配置をこれっぽっちも残さなくなる。
 けれども僕は忘れない。ビー玉が存在していたその場所を。
 だって、「それは僕の宝物」。

 この歳になると、さすがにその“宝物”はどこかにいってしまって、所在が明らかでない。もしかしたら、大事に箱にでも入れてどこかに保管しているのかもしれない、逆にゴミとして捨てられているかもしれない。
 今思えば、ホントにくだらないガラクタであり、ゴミであったかもしれない。でも、当時は貴重な宝物。楽しい思い出を一杯含んだ大切な宝物。今でも、どんぐりの実やビー玉や露店の駄菓子などを見つけると、妙に懐かしい気持ちになる。
 いつまでも忘れることのない、大事な思い出。「それが僕の宝物」。

 先日、一人の女性が僕たちの前から姿を消した。初めて会ったあの日から、長いようで短かったこの時間。その間に見せてくれた、あの笑顔、あの歌声、あの踊り、あのお喋り…。それらは、思い出に変わっていくんですね。
 美雪ちゃん、僕は君のことを忘れないよ。なぜなら…。

 「君は僕の宝物」だから。

[写真:みのる・文:岡山県/まる井]


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