恋をしようよ


永遠 〜とこしえ〜

 1994年9月、《渚に消えた初恋》公演。もし、これを見に行かなかったら、【運命の出逢い】がなかったならば、ここまでSKiにハマることはなかったと思います。

本田博子  前月の《真夏の祭典》は、歌劇〔ドン・ジョヴァンニ〕を含め、メンバーの頑張りを認めつつも完全な期待外れに終わり、奥山,岩崎ショックの後を受け何の期待もせず、単に「友人も行くから…」というだけ、それだけで終わるはずでした。しか〜し、SKiを通じて知り合った友人たちもそうなんですが、出逢いはいつも突然に訪れるものなんですね。

 【本田博子ちゃん…】当時若干14歳の中学三年生。あれから3年経ちますが、あの出逢いは本当に衝撃的でした。
 人が人に牽(ひ)かれるとき、「自分には無い、何かを感じ牽かれていく」と聞いたことがあります。そのときの私が、正にそれでした。ただ、しばらくの間は神様に祈る日々が続きました。「辞めないで!」と…。今では大分慣れてきましたが、当時のメンバーの出入りの激しさにはついていけず、来月は出演するかな?という思いもありました。
 そんな中、12月クリスマス公演で、博子ちゃんとの初めての握手会に臨みました。「雅子様にそっくりですね」と言うと、照れくさそうな、はにかんだ笑顔がとても印象的で、今でもハッキリと覚えています。
 その後、徐々に出番も増えていき、私にとって彼女の成長ぶりを見ることこそが、コンサートの楽しみになっていきました。ただ、上には“強烈なインパクトの”一期生がいた上に、95年7月以降、怒濤のごとく三期生が入会する中にあって、彼女自身つらかった時期もあったと思います。ですが、どんな時でも私は「博子ちゃんは、これで終わる子ではない。いつかきっと、博子ちゃんの色で輝いてくれる日が来る」と信じてきました。
 96年3月。前月の卒業式を受けての公演は、正直言って内心不安でした。誰がこれからのSKiのかじ取りになるのか?ですが、この一連の公演でほとんど博子ちゃんが司会を務めていた姿を見るにつけ、いつしか不安は消えていきました。
 多少空回りをしていた感もありましたが、私には[4人1組]のリーダー就任を含め、ようやく「待ちに待った日が来た!」と喜びました。

 そして、秋の香漂う9月に【SKi第四代リーダー 就任】。この継承式、博子ちゃんは泣いていました。涙の心は分かりません。ただ、客席で私も、初登場してからこの日に至るまでのことが走馬灯のように流れ、感極まり涙が出てしまいました。うれしかった。本当にうれしかった…。
 それからというもの、彼女は以前にも増して頑張ってきたと思います。SKiという艦隊の中にあって、旗艦として常に先頭に立ち、いかなる困難にも身をていして立ち向かい、時には道に迷った子たちを導き、引っ張ってきたと思います。
 一推しだから…というのではないけれど、歴代リーダーの中でも彼女ほど、リーダーとして自らの姿をもって、その姿勢を示した子はいないと思います。
 今まで30年の私の人生において、親兄弟を除いて、「すごい」・「その姿勢から何かを学びたい」と思わせた女性が3人います。年下の女性では、博子ちゃんが初めてですが…。
 私は、博子ちゃんに出逢えたことを誇りに思っています。これからも失敗を恐れることなく前進してください。笑顔を絶やさず、常に前向きの姿勢で頑張っている博子ちゃんが、私は大好きです。

                      ゆきかぜ      やはぎ  
[写真:しろくま☆しゃしょう・文:静岡県/(駆逐艦<雪風>改め)軽巡洋艦<矢矧>]


97年8月号目次