【第3特集】SKiの5年間を振り返る 


 1992年9月、「学校制服の向上」を旗印に7名で結成された制服向上委員会も、いよいよ活動6年目に入ります。このコーナーでは、ファンの目から見た5年の歴史を振り返ってみたいと思います。


《すばらしきリーダーたち》

 一言で「SKiこの5年」といっても、何を書いていいのか迷ってしまうのだが、何かテーマを決めれば書きやすいだろうということで考えた結果、初代リーダーだった吉成圭子さんも引退することだし、SKiのリーダーに的を絞ってこれまでのことを振り返ってみたいと思う。

●初代リーダー・吉成圭子〔結成時〜94年9月〕
 そもそも、SKiに「リーダー」という概念が生まれたのはいつなんだろう。吉成さんを見ていても、あまり「リーダー」という感じはしなかった。それよりも、他のメンバーは彼女のバックダンサーというか、引き立て役に見えてしまった。
 と、ここまで書いてしまうと他のメンバーには酷かもしれないけど、初期のSKiは、やはり[吉成圭子と制服向上委員会]だったように思える。だから、あえて「リーダー」というのも何か変な気がした。それに、彼女にリーダーシップがあるかというと、これも少し頼りない{失礼^^;;}。MCはあまりうまくないし、ステージ進行なんかも、他のメンバーを頼りにする部分が多かったように思える。しかし、ルックスのかわいさや甘い歌声は抜群だし、何よりも吉成さんはグループのコンセプトからその中心に据えられていたわけだから、彼女の後のリーダーとは違い、SKiの中では別格な存在だったように見えていた。

青山れい

▲青山れい

●2代目リーダー・青山れい
 〔94年10月〜95年9月〕

 彼女を初めて見たときに感じたのは、“純和風の美人”だということだ。いわゆる「女子高生ブーム」とか「コギャル」とかそういうものとは全く無縁で、むしろ和服とか、あるいは戦時中の「モンペ」なんかが似合うような感じのタイプに見えた。
 だが、そうした中でも天然ボケの一面があったり、しょーもないダジャレを飛ばしたりと、美しい容姿とのアンバランスな部分が面白かった。本人も言っていたが、歌は余り得意ではなかったらしい。だから、リーダーになってもメインヴォーカルをとることが少なく、吉成さんに比べれば随分目立たない存在だった。
 しかし、そういうつつましい姿がかえって彼女らしくてよかったのかもしれない。

諸岡なみ子

▲諸岡なみ子


●3代目リーダー・諸岡なみ子
 〔95年10月〜96年9月〕

 彼女はその背の高さから、SKiの中ではひときわ目立つ存在だった。青山れいがリーダーだった時代から、『清く正しく美しく』とか『笑顔がスキッ!』のようなシングル曲を歌っていて、ステージ上では早くから中心的な存在だったから、リーダーになったのも自然の流れだったような気がする。ミッシェルのようなボーイッシュなユニットのリーダーも務めたし、『少年よ大志を抱け』とか『同世代の少女たちへ』のようなダンサブルなナンバーも、彼女の存在があってこそできたものだろう。
 その反面、青山れい同様天然ボケな一面もあり、親しみやすさもあった。そのせいか、最初はそれほど高くなかった人気も、最後はかなりのものになっていた。


●4代目リーダー・本田博子〔96年10月〜現在〕

 意外なことだが、SKiにおいて現役高校生がリーダーになったのは彼女が初めてだ。94年9月、新二期生として中3でSKiに入った時は、それほど目立った存在ではなかった。[寿隊] [ミッシェル] [静寂向上委員会]といろんなユニットをやってきたけど、いつも脇役的存在だった。
 そんな彼女が注目されるようになったのは、96年5月、それまで二期生の中心的存在だった田村千秋が脱退した後だろう。前述したような経歴から、彼女はかなり長い間下積みを経験した「たたき上げ」のリーダーだ。それだけに、リーダーという面と、グループの一員という面のバランスがとてもよい。一見落ち着いた美人タイプだが、MCで時々ボケをかますところが、またかわいい。

 こうして見ると、吉成さんは突出した存在だったけど、他の3人はそんなに突出してはいなかった(青山れいは、むしろ地味だった)。結成当初、吉成圭子というキャラクターを中心に作っていたグループが、今は特定のメンバー中心ではなくグループとしての魅力を発揮させるような方向に変わってきたように思える。それにあわせて、リーダーといえどもだんだんグループの中に溶け込んで、突出した存在ではなくなってきたようだ。
 4人のリーダーのうち、吉成を除く3人はいずれも大人っぽい外見の割には天然ボケの一面があるという共通点がある。リーダーは、時としてはメンバーの誰よりも輝く存在になると同時に、ファンにとっても親しみやすい存在になる必要もある。そんな点から考えると、こういうキャラクターのメンバーがリーダーになるのも、何となく分かるような気がする。

[写真:東京都/佐藤 昇,文:論説委員■本間 寛]



《PLACE IN THE HEAVEN》

 SKiは、この秋で結成から5年になるそうだが、その結成された年というのは、ちょうど私が高校を卒業した年に当たる。
 私がSKiを見るとき、自分の高校時代とオーバーラップして見ることが多い。当時の私は陸上競技部に所属していて、来る日も来る日もグラウンドを走り回っていた。入学して初めて顔を合わせた部員たちも、同じゴールを目指してぐるぐるぐるぐる何度も何度もグラウンドを走り続けていると、次第に仲間意識が興ってきて、そのうち仲間を通り越して“身内”のような気がしてくるものである。
 私は1年生の時に、陸上競技をする者としては最も大切な“脚”に怪我を負ってしまった。だから、大会に出場しても絶対に一位になれないことは分かっているのに、それでいても一位になれなかったことにイライラを募らせていた。
 しかし逆に、「自分は、一位になるために走っているのではない」ことも知っていた。努力して一位になれる人たちは、みんな一位になることに一生懸命だが、私は努力しても一位になれない人だったので、自分はなぜ走り続けるのか? 毎日そんなことばかりを考えていた。

 私がSKiと出会ったのは、シングル『エメラルドの伝説』のキャンペーンの時で、篠原,田村,浅野ら(旧)二期生が入会したころだった。初めてSKiを見たとき、そこに自分が高校時代に見たものとまるで同じものが存在していることを、最初の曲が流れ始めてから数秒のうちに感じとっていた。初めて会うのに、なぜか懐かしい気がした。
 陸上をしている人というのは何か空気の色が違うというか、 雰囲気で「あっ、コイツ陸上をやっているな…」と分かる時があって、そういう人は初対面でも割と親しみを感じるものだが、それがなぜアイドル(グループ)を見た時に同じ感覚を覚えるのかは、とうとう分からずじまい…。
 半年考えても分からなかったので、「ならば、もう一度見て確かめよう」と思い、ついに〔こまばエミナース〕へと足を運ぶこととなった。

 似たようなことは、95年7月 軽井沢でのFCツァーでも起こった。
 2日目に体育館で行われたゲーム中に、目をつむって、片足でいつまで立っていられるか? というのがあった。スタッフの合図で、皆一斉に片足を上げる。しかし、思ったよりも踏ん張っている客が多く、勝負がつかなかったので、列の中で一番安定して(長い時間)立っている人が優勝ということになった。
 「メンバーは、各自賞品を持って優勝したファンの隣に立つように!」。各メンバーへ、スタッフから指示が出された。
 このとき、私はまだ片足を上げて立っていたので、当然目をつむったままなのだが、精神を集中した状況の中で、メンバーの気配がして自分の真横で止まったことは手に取るように分かった。
 スタッフの「ハイ、終わり!」の合図で目を開くと、そこには望月菜々が立っていた。不思議なことに、望月菜々というメンバーに“陸上をやっている人間の独特の雰囲気”を感じていた。

 その望月菜々はSKiを卒業し、今では井出百合子という別の名前を持っている。P会報のコメントを読んで、彼女がSKiを卒業することを初めて知ったのだが、読み終えた後、なぜSKiと自分の高校時代が似ていると思ったのか、望月菜々を陸上をやっていた人間のように感じたのか、その訳が明らかになった。
 コメントの内容…。それは、私が高校時代に出した結論とほぼ同じものだった。自分が仲間たちとグラウンドで走り回る中で見たものと、望月菜々が他のメンバーと一緒にステージで見たものは同じものだと確信した。私は何かに駆り立てられるように、このことを手紙にまとめ、「答えはゴールの向こうにある」という我が陸上部の名言を添え、望月菜々に送った。
 卒業式で彼女は、「今は、マラソンを走り終えたような気分です」と話していた。私には、どんな意味を込めて彼女がそれを言ったのかは分からない。それが私の手紙に関係しているのかどうかは本人に聞いてみる以外にないが、今となっては なすすべもない。
望月菜々  しかし、私は思う。野球選手が野球をする理由、空手家が空手をする理由、画家が絵を描く理由。それらは、そんなに違うものではないだろう。格闘技の試合を見ると、今まで殴り合っていた相手同志が、試合が終わればまるで十年来の友のように仲良くしていたりするが、それは少しも不思議なことだとは思わない。リングの上では敵だとしても、同じ格闘家同志、目指すものは同じなのだろう。
 私は、望月菜々とは他人だし友人でもないから、彼女が SKiで何を見て何を考えたのかは知らないが、他人といっても同じ人間同志、脳みその構造は変わらない。
 ステージと客席。見る場所は違っても、見えるものは同じなのかもしれない。

 本田博子は今年の卒業式の時に、巣だっていく諸岡なみ子のことを「SKiの偉大な先輩」と呼んでいた。これは暗に、本田博子が「私はSKiというグループが好きだ」と告げているのだと思う。もしもSKiが嫌いなら、わざわざ先輩に敬意を払うことはしないだろう。

   川の流れは絶えずして もとの水に非ず
    されど 流れ亡き川は 川に非ず
   川 流れてこそ 川なれば
    水 流るるも 川は流されず

 私がSKiに出会った当時のメンバーは、永遠の一推し“麗しの松田ゆかり君(ぎみ)”を除いてすっかり替わってしまったが、だからといって私は「SKiが変わった」とは少しも思っていない…。

[群馬県/知恵之輪士]


97年9月号目次