世界中で ただ一つだけの 君のドラマ…。

 【第2特集】 「さよなら吉成さん」=吉成圭子引退記念文集= 

 “制服向上委員会の顔”として君臨してきた吉成圭子さんが、本日の《生誕5年祭・ディナーショー》を最後に、芸能界から退くことになりました。そこで、吉成さんの功績をたたえるべく、お別れにあたってのメッセージを読者の皆さんから募りました。


《吉成さんが引退する》
吉成圭子
 この事実を5月のこまばで聞いた私は、「夢でも見てるのと違うか?」と思い、自分のほっぺを思いっきりつねった。
 もちろん痛かった。数日後、ある本で改めてその事実を知りしばらく放心状態になってしまったが、やはり事実を素直に受け止めるしかなかった。
 私は、吉成さんを「一番SKiを辞めそうにないメンバー(と言ってもいいのだろうか?)」と思っていて、万一 会長総代を引退するとしても、IJR取締役プロデューサーに専念して何らかの形でSKiに関わっていくだろうという固定観念があった。しかし、その考えもベルリンの壁のように崩れ去ってしまった。この時ほど、のんきな考えをしていた自分に腹が立ったことはない。
 私が本格的にSKiファンになった時には、既に吉成さんはステージにほとんど出ていなかったので、思い入れというのは二期生や三期生ほどはないが、私にとって“吉成圭子という人物”は偉大なものであると私は思う。
 そこで、ある月の輝く夜に(c)私は自分の部屋で吉成さんのCDを聴きながら、じっくりと考えてみた。自分のやりたいことに向かっていけるのだから、レールに敷かれた人生しか歩んでいない私にとっては非常にすごいことだと思うし、同時にうらやましく思う。私の場合は、たまたまそのレールの中でやりたいことを見つけることができたが、それは自分自身が考えたものではない。考えるのは簡単だが、いざ実行に移すとなると非常に難しいものである。吉成さんなら、色々なことを乗り越えていけたから、海外留学もきっと成功すると思う。それをみんなが望んでいることだから…。

 だが、あの甘い歌声も聴けなくなり、秋以降二度と会えなくなる(私の場合は、今日の時点で既に会えない)わけだから、寂しい気持ちにならないと言えば大嘘になってしまうが、私は笑顔で送り出したい。いつかは、ちょっと違った吉成さんを私たちの前に見せてほしいですね。
 最後に、今まで「明日への勇気」を与えてくれてありがとうございました。きっと、忘れることはありません。

[写真:東京都/佐藤 昇,文:京都府/竹ちゃん]



《吉成圭子について =トップナンバーの強み=》

 SKiのトップナンバー・吉成圭子。当初、SKiとは彼女のために作られたと言ってもいいほどのグループで、初代リーダーに就任した上、ほとんどのボーカルを担当し、特別な“中央集権的”存在であった。高校野球でいうならば、「エース・4番・キャプテン」を一手にしていたようなものであり、特急型電車に例えると「先頭グリーン車・1号車・クロ151-1」のような存在ともいえよう。
 今のSKiのように、リードボーカルが入れ代わり立ち代わりなんてことは無く、大半の曲が彼女のボーカルで他のメンバーを率いて歌っていた。鉄道馬鹿(笑)みたいに思われるかもしれないが、それは国鉄時代の特急列車を彷彿とさせるものがあった。当時の特急は、編成が長く分割併合もせず、オーソドックスではあったが見事な編成美を誇ったものだった。
 その後、2代目リーダー・青山れいが就任したころから、吉成さんは徐々にステージの中心から離れていき、SKiの コンサートも様変わりしてきた。あたかも、国鉄がJRに変わり、車両もカラフルになって短編成となり、その日の乗客数によって増解結するようになった昨今の特急列車のように思えた。
 というのも、まるで※1ジョイフルトレイン的な多彩なユニットの登場、同じ曲でも公演によって歌うメンバーを変える、などの要因が私をそう思わせるのかもしれない。
 古い車両は、やがて新しい車両に駆逐される運命にある。SKiにおいても、この5年間で多くのメンバーが卒業・脱退し、新しいメンバーが入ってきた(一部の方は、諸般の事情ですぐに脱退してしまうのだが…)
 その中において、彼女は初代リーダー〜会長総代としてSKiに君臨してきた。大部分のメンバーが2,3年でSKiを去っていくのに対し、5年の長きにわたって一メンバーとして存在することができたのだ。理由はいろいろあると思うが、その一つとして【トップナンバーの強み】があると思う。事実、鉄道車両ではトップナンバー車が大切に保存されている例が数多く、C57型蒸気機関車の1号機は※2二度にわたる大破にもかかわらず、見事に生還しているのだ。「運が良かっただけ」と見る向きもあるだろうが、このことからもやはり【トップナンバーの強み】というのは無視できない事実である。

 彼女は間もなく引退する。心より惜しまずにはいられないが、数年後再び会えることを期待し、これからの人生を祝って送り出したいと思っている。
 最後に「吉成さん、今までお疲れさまでした」。

<P.S.> 支離滅裂な文章ですみません(笑)。
[徳島県/柳本直樹]

※1 ジョイフルトレイン = 臨時列車や団体貸切列車に使われる車両の総称。〔パノラマエクスプレス・アルプス{JR東日本}〕や〔サロンカーなにわ{JR西日本}〕〔アイランドエクスプレス四国{JR四国}〕などがある。
※2 1961年の羽越本線脱線転覆事故と、95年の阪神・淡路大震災の時。後者は、神戸市須磨区のJR西日本・鷹取工場に 検査入場中、車体が横転してボイラーが損傷したもの。



《遠くて不思議な存在》

 吉成さんがとうとう引退しました。長い間SKiの初代リーダーとして活躍され、その後も会長総代としてSKiを影で支えてくれました。その功績は、素直に讃えても良いのではないかと思います。本当にお疲れさまでした。
 確かに、吉成さんといえば、「この曲は余り好きじゃない」とか、「ライブをやるのは好きじゃない」などの“問題発言”が多く、いい印象をお持ちでないファンの方もいらっしゃるかもしれません。私も、一時期そう思ったことがありましたし、プロとして【アイドル失格】だとも思ってました。歌を好きになろうとかMCをうまくやろうとか、そういう気持ちがこちらに伝わってこないのです。本当にやる気があるのかどうか…。
 アイドル歌手、強いてはライブ・アイドルを自負するのなら、もっとステージに集中し、よりよいステージを目指そうとするべきでしょう。しかし、吉成さんは余りそれをしない人だったんですね。それでも、のらりくらり、いつものマイペースでコンサートをこなしてしまう。そこが吉成さんの、“天才肌”を感じさせる部分だったと思います。
 と同時に、それを受け入れるSKiファンの“心の広さ”にも頭が下がります。正に、「ファンがいなければ、アイドルは成立しない」という典型だと思います。
 こうして考えると、吉成さんは意識したのかしてないのか、僕たちファンに頼っていたのかもしれません。厳しく言えば、「甘えていた」のではないかと。
 こんなことがまかり通るということは、吉成さんが【自由人】であり、ファンもそれを承知で応援していたからではないかと思います。何も、身勝手だけなエゴイストだというのではありません。自由気ままに生きつつも、周りに少々迷惑を掛けたとしても、憎めないほどかわいらしい人だということです。少しずつでも吉成さんのことが分かってくると、応援するつもりではなかったのに、気が付いたら応援していたこともあったぐらいです。
 僕は吉成さんのソロコンサートに行ったこともなければ、イベントで写真を撮ったこともない。たまに、SKiのコンサートに出てくる吉成さんしか知らないのです。もちろん、リーダー時代の吉成さんも知りません。
 でも、ステージにいる吉成さんを見ているだけで、引き付けられる【不思議な魅力】を持っているんですよね(本人は気が付いているのかな?)
 今回の引退で、「吉成圭子=SKi」という図式が(かなり前から崩れていましたが、この場合は物理的にという意味で) 崩れたわけですが、心の支えとして吉成さんは、みんなの心の中にずっといることでしょう。

 僕にとっては、たとえステージの目の前に立っていても、どこかその存在が遠く感じられた…。それが吉成さんでした。だからといって、違和感のない不思議な人でした。これは、吉成さんのナチュラルさ・(良い意味での)マイペースさが要因のように思えます。今後、どのような人生を送るにせよ、今までどおりのペースで歩んでいってほしいですね。

[埼玉県/ミミへの夢追い人]



《素晴らしい曲をありがとう》

 吉成圭子さんは、SKiの中でもとりわけ多くの曲をCDとして残してくれた。そんな圭子さんの代表曲といえば、ほとんどの人はデビュー曲である『明日への勇気』を挙げるのではないだろうか?
 しかし、私は2枚目の『君だけの道』こそ、圭子さんの代表曲だと考えている。そもそも、「デビュー曲=代表曲」とする風潮に、私はどうも違和感を覚えてしまう。確かに、デビュー曲というのは歌い手や事務所にも力が入っていて、水準以上の曲の出来となるものだが、やはり歌い手が自分自身の真価を発揮し、その歌手の歌として心に残るのは、2曲目以降ではないかと思ってしまうのだ。
 例えば、水野あおいにしても、デビュー曲『恋なのかな???』ではなくて、2枚目の『春の輝き』の方がコンサートでも盛り上がっているし、Qlairにしても、デビュー曲『瞳いっぱいの夏』も抜群に出来がいいけれども、やはり『恋のメダリスト』や『約束』の方が私は好きだ。振り返って、7月のSKiコンサートでは、メンバーがおニャン子クラブの『セーラー服を脱がさないで』を歌ったが、これなんかも『お先に失礼』だったらなぁと思うのは私だけではないはずだ。
 もちろん、『明日への〜』も良い曲だが、『君だけ〜』を初めて聴いた時の感動は忘れられない。圭子さんのアルバム〈蒼い天使の糸〉を買った後、なぜかこの曲だけがアルバムに収録されていないことに気付き、あちこち探し回って新宿の帝都無線で購入。家に帰り早速聴いてみたら、心地良いし、なんといってもその歌詞「♪ 昨日よりも 今日よりも明日が/少しだけでも 夢へと近づけるために〜」に私は久々にジーンときてしまった。
 ともすると周囲に迎合してしまう中、この歌詞には私は大いに勇気づけられたものです(橋本美香ちゃんもいつかは、このような、人を感動させる歌詞を書いてほしい…)。最近も、『瞳の中のグッバイ』等優れた歌も歌っているが、私にとって 圭子さんの一番の曲は、やはり『君だけの道』だ。
 またSKiにいた時においても、圭子さんは数々の名曲を私たちに残してくれた。SKiでのベスト・トラックは、誰が何と言っても『清く正しく美しく』だろう。私がこの曲を最初に聴いたのは今から3年以上も前で、私もまだ、制服向上委員会の名前ぐらいしか知らなかった。TSUTAYA{レンタルCD店}でこのシングル盤を発見し、「私の好きな、コーラス&ハーモニーが聴けるかなぁ」と思い、借りてみたのが出会いだった。聴いてみると、お目当てのコーラスはさておき、リードヴォーカルである圭子さんの声の魅力に、私は脱帽してしまった。
 圭子さんのキュート・ボイスは最高だ。コンサートでは、この曲のリードヴォーカルは秋山 望さんや吉田未来さん、最近では本田博子さんがとっている。しかし、誰が歌っても、「やっぱり、圭子さんの声が一番だなぁ!」とつい私は思ってしまう(秋山 望の歌も相当の出来だという声もあるが…)。今でも、『清く〜』は私のSKiの好きな曲ベスト1に位置している。なお、悲しいかなその当時、私はレンタルだけで満足してしまい、原盤を購入しなかった。そして、後で買おうとしたら、何と品切れ…。おかげで、原盤を持っていそうな人にお願いしまくり、入手するまでにエライ苦労をしてしまった。
 ちなみに現在『清く〜』は廃盤となり、入手は相当困難とのこと。なんと…(涙)。
奥山みか&吉成圭子
 そして、今年の8月16日。吉成圭子さんのラストコンサートの日だ。私は所用で遅れてしまい、19時過ぎに当日券で入場した。席番はN-29とのことで、右後方だ。「こ、この席は…」。いつも、本誌の本間さんや3Kiの方々が歌って踊っている、大変に濃い席だ(笑)。恐る恐るその場所に行ってみたら、誰かがもう座っている。「すいません、その席は私の席なのですが…」「あっ、すいません」ということで譲ってもらい、着席する。後方のダンスアリーナは相変わらず盛り上がっていたが、私の席の周辺は、結構平和状態だった。よって、私も自然体で見ることができた。
 このコンサートで忘れられないのは、やはりアンコールだ。全く制服を着なくなった圭子さんが、久方ぶりにSKiメンバーとお揃いの制服を着て登場。そして往年の曲を歌う…。
 すごい感動だった。圭子さん以外のメンバーは、当時とすっかり変わっている。しかし私の瞳には、藍田真潮が高瀬あやのが奥山美夏の姿が、ステージ上のメンバーに重なりあっていた。
 コンサートが終わった後、昔からSKiを見続けている方といろいろ話したが、皆一様に、圭子さんの振りの見事さを絶賛していた。他のメンバーと違い、全ての振りがぴたりぴたりと止まる。MCで「練習していない」とかそんなことをよく言っていたが、やはり基本はしっかりしているのだ。圭子さんはSKi在籍時、そしてソロになっても、本当に素晴らしい曲を私たちに残してくれた。『君だけの道』と『清く正しく美しく』の2枚のシングルCDは私の宝物だ。圭子さん、素晴らしい曲を本当にありがとう…。

[写真:東京都/佐藤 昇,文:東京都/匿名希望]



●吉成圭子さんへのメッセージ

 7月末に届いたP会報で吉成さんの突然の引退を知り、今でも信じられないくらい驚いています。
 「吉成さんは、SKiにとって偉大な人である」ということを、僕自身改めて痛感しました。5年の長きにわたっての 活躍、大変お疲れさまでした。これからは、吉成さん自身の決めた道で頑張ってください。

[愛知県/杉浦嘉信]


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