last update:98/03/18


    from Editors



 お待たせしました。おかげさまで10月14日(ちぁきの18歳の誕生日)から、地元にあるM電器(not 電機)の工場にてノートパソコンの完成テストのアルバイトをしております。一般読者,SKiメンバーはもちろんのこと、一番心配していただいたハードレインのモッチさんに直接報告できなかったことが唯一の心残りです◆最近、目薬の消費がやたらと激しい。工場に勤め始めてからひと月で、ボトル一本が空になってしまった。家ではもちろん、会社にいてもパソコンの画面とにらめっこ。視力の低下が心配だ◆で、私が担当しているのが、本誌96年12月号以降3冊の編集にも活躍した〈○ッツ○ート〉&今月発売の新型機種(キーボードは小さいが、8時間も動くらしい…)です。初期不良の品を買っても、私に文句をいわないでね(^^;;;◆わずか半月で異動。今度はその機種のプリント基板の完成テスト&製造作業へ…。仕事自体は単純なのだが、班のリーダー(正社員)が“体育会系”のヤな奴揃い。こんな工場、早く辞めたいっ!!
[しろくま☆しゃしょう]

 新しい職場に変わって、早いもので4ヶ月が経った。 会社は卸屋だが、 私の担当はシステム管理。世の中で騒がれている「西暦2000年対応」という言葉をご存じだろうか? うちの会社も例外ではない。通常ならば、2000年が来てもプログラムを問題なく動くように修正すればいいのだが、我が社のメインコンピュータは型が古く、2000年よりも2年前、すなわち来年末で日付の管理ができなくなってしまう。そのため、新しいコンピュータの導入により数百という全てのプログラムを作り直さなければならない、気の遠くなる作業だ。そんな中、マシンがトラブったり、取引先の無茶な要求があったり、次から次へと仕事が舞い込んでくる。タスケテクレェ〜(泣)◎という、長い前置きがあって(笑)、忙しくって裕紀子ちゃんの誕生日には何もできなかった。ホームページの更新もできず、趣味すらロクに楽しめない(泣)◎不幸は重なるもの…。その1:愛用していたノートパソコンとうとう逝く(泣)。その2:会社にいた、ちんちくりんで超かわいくてMajiに狙っていたSさんが、同じ職場のO先輩と結婚(泣)。その3:安室のできちゃった結婚(大嘘)◎気がつけば目の前にはクリスマス。裕紀子ちゃんと出会って2回目のクリスマス。果たして今年は、ジングルベルか?シングルベルか? 「今年こそは」と意気込むものの、その結果はいかに…!?
[まる井]

 10月の初めに都内へ引っ越しをした。3年半ほど埼玉県にいたのだが、そこはあまりに環境が悪いため、すぐにでも脱出したかった。「ふぉれんと」「マイルームガイド」「CHINTAI」といった賃貸住宅情報誌はインターネットにホームページを開設し、家に居ながらにして情報を検索できるようになっている。便利な世の中だ。しかし、いざ探すとなるとなかなか条件に合う物件が見つからない。
 掲載までには時間がかかるため、問い合わせた時には 既に申し込みが入っていることもある。
 偶然入った不動産屋で、まだ情報を出していない物件を紹介された。ここが意外と広く、良さそうなので9月中旬に契約をした。
 引っ越し準備にかかる。モノが多いために大変だ。
 アイドル系ではなく、本来の趣味であるクラシック関係のテープ・CDなど、とにかく多い。
 さて入居してみると、いろいろと欠点も見えてくる。
 でも、あの騒音から逃れることができただけでも幸せなのだ。そして、生まれてからずっとなじんできた東京・山の手地区の雰囲気が、自分には一番合っていることも実感している。
[夢野 雫]

 この度、長野行(北陸)新幹線が開通した。これによって東京と長野は最短1時間19分で結ばれることになり、とても便利になった反面、信越本線の横川〜軽井沢間が廃止され、JRで最大の難所といわれた峠越えの路線は姿を消した。代わりにバス路線がつくられたが、これによって地元の人は運賃も高くなり時間もかかるようになってしまったというから、巷でいわれる“地方分権”とか“東京一極集中是正”という方針に全く反するものではないかと思う。
 また、私のような鈍行列車の旅を愛する者にとっても、残念なことだ。特に、島崎藤村が「千曲川旅情のうた」で詠んだ、美しい城下町・信州小諸(長野県小諸市)は、新幹線のルートから外れ、かえって行きにくくなってしまった。
 “早さ”“便利”“効率”といったことばかりでは、世の中窮屈だ。最近、世情が殺伐としている一因もこういうところにあるのかもしれないと思う。もう少し“ゆとり”とか“風情”といったものを見直してはみてはどうだろうか…。
[本間 寛]

 先日、書店でキティちゃんの全グッズが紹介されているカタログを見付けたのだが、それを読んでとても懐かしい気持ちになった。実は10年前ぐらいのブームの時、僕も“キティラー”だったのだ(爆)▲小学6年生だったある日、母親とキティちゃんグッズを買って店を出たところを、運悪く(!?)担任の先生とクラスの女の子5人に見つかってしまい、いつの間にかみんなでよく店に行くようになった。その先生の名は、橋本先生(当時24,独身)。吉成さんに似た美人の音楽の先生で、ピアノも上手いが料理も美味かった▲授業中にキティちゃんの鉛筆を使っているところを担任に見つかってしまい、みんなの前で「柴野くんはふだんから静かすぎて(体も細く)女の子みたいだから、さん付けして“柴野さん”と呼ぶことにします」って言ったから、クラス中が大爆笑。卒業まで、みんなからは「しぃーちゃん」と呼ばれていた▲今度、阪急梅田駅の近くにキティちゃんグッズの専門店が開店するそうだ。僕も行ってみようかな?
[みのる]


 こちら新宿3丁目 97年11月号{通巻20号}
 初版発行◇1997/11/24 第二版発行◇1998/ 3/ 8

  編集長◇みのる[柴野 稔]
編集発行人◇しろくま☆しゃしょう[池町達也]
 論説委員◇本間 寛・夢野 雫・まる井

  web版発行◇1998/ 1/13
  web版編集◇夢野 雫

表紙写真撮影◇夢野 雫(篠原)
       髪型向上委員会(水野)

97年11月号目次