last update:98/03/19
sweet days...

松田ゆかり   Yukari Matsuda


《私の好きなもの》

私が好きなのは、松田ゆかり。

松田ゆかりは、制服が似合っていた。
松田ゆかりは、着物も似合っていた。
松田ゆかりは、ショートカットが似合っていた。
松田ゆかりは、三つ編みも似合っていた。
松田ゆかりは、歌がうまかった。
松田ゆかりは、笑顔がかわいかった。
松田ゆかりの目は、輝いていた。

でも、私が本当に好きなものは、
制服でもなく、
着物でもなく、
ショートカットでもなく、
三つ編みでもなく、
歌でもなく、
笑顔でもなく、
目の輝きですらない。

私が好きなのは、松田ゆかり。
ただ、それだけ…。

[文:群馬県/知恵之輪士]

[カメラ:ゆめのしずく]
松田ゆかり


《最後の一期生・松田ゆかりさんへ》

 思えば当たり前かもしれませんが、私は松田ゆかりさんの姿を一番多く見てきました。
 会場中を走り回り、写真を撮った、日比谷IJF-3前の撮影会。
 遠路一般道を車を走らせ、一晩ががりで会場へ乗り込んだテレビ金沢の公録…。
 などなど、思い出せばきりがありません。

松田ゆかり  でも、やっぱり一番私の心に残っているのは、気だるそうな声でルーズィーに歌い上げる“ゆかり節”なのです。『残り者には福がある』『ティッシャー』『Something』、そして、私が一番好きなユッカーリー・ナンバーである『まだ見ぬ世界を信じて』…。
 ゆかりさんは、P会報で「私は本当に音楽をやりたいのか」ということを自問自答すべくこの結論を出したという意味のことを言っていましたね。率直に言って、ゆかりさんほどの“味のある歌い手”が一線を引くなんて、私は大変残念に思います。
 でも、松田ゆかりの人生は「松田ゆかりが主役」なのです。その主役が決めたことなのです。

 人生は長い。しばらく他の世界に触れるのも決して悪いことではないと思います。
 ゆかりさん。再びライブハウスのスポットライトと、ファンの声援を浴びたくなったのでしたら、いつでも戻ってきてくださいネ。またいつか、ゆかり節を聞けるその日を私は待っていますよ。

 最後に。
 私は、このフレーズに過去何度となく元気づけられました。
 今度は私が、ゆかりさんに贈る番です。

   「まだ見ぬ世界を信じていくだけ どこまでも続く レールを進もう
         振り向くことでさえ 心痛むけど あきらめずに 歩こう…」


 最後の一期生に、幸あることを祈ります。

[文とカメラ:大阪府/Be-Wave]



●松田ゆかりちゃんへのメッセージ

 ゆかりちゃんの場合は、本人よりも有名なファンさん(笑)がとても熱心に応援していたのを思い出します。
 こういうファンがいたゆかりちゃんは、とても幸せだったと思います。
 ゆかりちゃんと話したことはなかったですけど、そこにいるだけで存在価値があったと思います。
 私の心の片隅にも、きっとゆかりちゃんがいることでしょう。

 長い間お疲れさまでした。しあわせになってね。

[東京都/ホーカー・テンペスト]



 一期生の時代からSKiを見てきた私にとって、とうとう一期生がいなくなってしまうということはとても寂しい。
 一期生は、何といってもSKiそのものだったから…。

 ゆかりちゃんは、初めて見たときのツーテールがとても印象的で、ゆずぽん氏の「ツーテール、ゆかりぃ〜!」という叫び声が今でも耳に残っています。

[論説委員■本間 寛]



 12月のコンサートでゆかりちゃんが出ていなくて、考えたくなかった“二文字”がふと脳裏をよぎってしまった。
 それは、いうまでもなく「卒業」…。

 1月の撮影会・新ごあいさつ'98では、私自身ものすごくほっとした。なぜなら、ゆかりちゃんの元気な姿をこの目で確認することができたからだ。
 と同時に、私は自分自身に対して腹が立った。「一回ステージに出なかったぐらいで、どうしてあの“二文字”を考えたんだ!」って。
 握手会の時にはゆかりちゃんに申し訳がなくて、まともに顔を見ることもできなかった。

 そして、四ッ谷のコンサートでゆかりちゃんの姿は無く、その後に届いたハガキ・P会報では…。

 でもゆかりちゃんが決めたことだから、私からはもう何も言いません。
 ただ、最後にこれだけは言わせてください。
 「5年間、本当にお疲れさまでした。制服向上委員会のメンバーだったことを誇りに思って、これからの人生も頑張ってください。私も陰ながら応援していますから」と…。

[京都府/竹ちゃん]



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