Graduation '99 |
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《 支えられて、励まされて… 》
撮影/ブルーウェイブ
愛ちゃんとは、もう四年半くらいの月日が流れたことになります。早かったです。特に愛ちゃんは。
と、いうのも、今のポジションを確立するまでに、大変な時間を要しましたから。
私は、本当に98年になってから、ようやく彼女の魅力、才能が発揮されてきたと思うのです。
だから、これからだぞ!という時に卒業となってしまうことに、すごく悲しみが、虚しさが込み上げてくるのです。
もう少しSKiで育成してあげれば、もしかしたら外へ出ても通用した気がしますしね。
特に、女優を目指すのであれば、遅咲きの人などたくさんメジャー系でもいますから。愛ちゃんはまだ若いです。
さて、ここで少し出会いから今までの経過をまとめてみたいと思います。
彼女は、94年9月の『渚に消えた初恋』公演(こまばエミナース)にて初登場しました。当時はまだ芸名が決定しておらず、コミティビデオの『二期生の時間』でも、“恵”とだけとか紹介されていませんでした。
それから寿隊に定石通り入隊。しかし、その後の一年位の愛ちゃんはイベント・キャンペーンの出席率が低く、あまり接触を持つことの出来ないメンバーで、どちらかというと“存在感の薄い”メンバーでした。まだ、その頃は愛ちゃんの個性も出ていませんでしたから、どういう女の子なのかほとんど分からない状態でした。
また、これはビデオの中で愛ちゃん自身が言っていたことですが、「最後までけっこう長く、マイクスタンドの用意とかやっていたのがつらかった」とのこと。本当に地味な存在でした。
かわいいことはかわいくても…。MCも少なかったと記憶しています。
最初の頃は一応、歌、ダンスが好きで入会してきたということでしたが、やる気を全面に押し出すような娘には見えなかったし、まさかここまでやる娘だとは当時は考えなかった訳です。
それが、私事になりますが、96年1月の寿隊のIJRキャンペーンで初めて握手をして以来、彼女の魅力が少しずつ分かってきたのです。
まず、間近で見た愛ちゃんは、実はすごくかわいいんじゃないかということからでした。
それと、話すと割りにあっさりしていて、気軽に話せる気がしました。それからです。彼女の魅力・個性が出てきたのは。しかし、それが一気にはではなく、徐々に出てきているというのが愛ちゃんらしいです。
96年3月公演で、例の「アミーゴ!」が出てきたり、同年5月に、田村千秋ちゃんが退会した後は、“弾けるメンバー・久保愛”が定着しだしました。
さらに8月には、ユニット『WORST』のリーダーとして活躍し初めました。
当時のWORSTの勢いはすごく、いずれ寿隊と肩を並べる程の存在になりえると思ったものでした。
しかしながら、ソロ曲もろくに歌わせてもらうことが出来ず、愛ちゃんの活躍の場はもっぱら、ユニット、コンサートでのMC、各コーナーの司会など“名脇役”という立場から抜け出すことが出来ませんでした。それが愛ちゃんの個性だと言う方もいるかも知れないです。私もそう思った時期もありましたから。でも違うと思いました。彼女はこの96年あたりから、やる気も前面に押し出しはじめ、将来的に芝居をやりたいという明確なビジョンがありました。
歌に関しても、少しずつ意欲的に取り組むようになった時期です。出来ればフロントあたりでやりたかったのではないでしょうか?
しかし、その時期にはすでに年下の三期生たちが主力で、正直言って人気も追い抜かれていた感じでしたから、焦りや不安といった、様々な想いが入り混じった、彼女にとってつらかった時期だと思います。
しかし、愛ちゃんは、そういった感情を表情には決して出さず、頑張ってくれました。もしかしたら、もっと先で勝負を賭けようと、長期的に考えていたのかも知れませんが。
97年2月。しのさんやみーつー、こずえちゃんと言った二期生のほとんどが卒業し、今年はいよいよ愛ちゃんのXデーが来るかと思いました。しかし、97年も今までの年とあまり変わらない状態が続いてしまいました。
「本当にこれで彼女は納得がいっているのか…?。確かにSKiというごくごく狭いフィールド内でのことであっても…。イヤ、そんな訳ない!」と思いました。
なぜなら、もしここ(SKi)で全くだめだとしたら、外へ出てもほぼ見込みはないでしょう。
「このまま終わるのはもったいない。何かと私たちファンのことを考えてくれ、応対も良く、気軽に話してくれる彼女に、スポットライトを当ててあげたい」。そう思いました。
そして、98年も現役続行が決定しました。三期生もその多くは卒業し、チャンスがあるとしたら今しかないと思いました。
すると、三月には寿隊隊長就任(結局、一時的ではありましたが)。次々と来るリード曲、ソロ曲。
そして、愛ちゃんにFCイベントなどで集まるファンさんの多さ。6月・7月の芝居では、ようやく彼女自身やりたかったことが出来ていたようでした。
8月はたくさんのキャンペーンをこなし、ファンさんとのコミュニケーションを大切にしていました。 さらにこの月の公演では、次々とユニットに参加。SKi-A、そしてビックリ(失礼!)したのが、SKi-Pにまで参加したこと。ソロ曲も8月に発表されたアルバムに入ったりもしました。
その後も、9月、11月、12月の一人芝居。そしてキャンペーン、FCイベント参加率の高さ。
愛ちゃんにとって、私たちファンさんにとって、98年は本当に充実していました。
私事になるのですが、その時はまさか卒業するとは知らず、12月の公演の時に愛ちゃんにファンレターを出してしまったのです。「やめる前に一度だけは…」と思っていただけで、返事はどちらでも良いという気持ちで書きました。
でも、内容がまずかった。簡単に言うと「まだまだ十分やれると思うので、SKiを続けてください。私たちファンからのお願いです」なんて書いてしまったのです。完全な行き違いだったのです。
それにしてもこの手紙を読んだ愛ちゃんはどう思ったのかと思うと、心が痛みます。できればバネにして、残された公演を出来る限り頑張ってもらい、私も、精一杯応援するしかないですね…。
撮影/みのる
この辺で今後のことも含め、メッセージを伝えたいと思います。まず、本当にどうもありがとうというひとことです。
私の考えでは、二期生はポジション的に中途半端で、一番損をしていたと思います。
しかしその反面、根は非常に良く、優しくて心の広い気さくな娘が多かった気がします。
その典型例が、愛ちゃんということになります。しかも、かわいいですし。三つ編みTWOテール、TWOテールはとても似合っていました。
ただ、先にも述べました通り、これからという時期だっただけに、非常に残念であると同時に心配です。例えば、もし愛ちゃんが今後もこの業界に残る意志があるとすれば、SKiを出てどれだけやれるのか。もう少し今の所にいて、経験を積んでからの方が良かったのでは。と、私は思います。
とにかく今は、体に気をつけて毎日を元気に過ごしていってくださいと言いたいです。
そして、また目標、夢探しをしてほしいです。
願わくば、私たちの前にもう一度現れてくれるとよいのですが…。
こんな形で終わるなんて悔しすぎる。
不毛な時期もあった愛ちゃんですけど、本当にいままでどうもありがとう。
君は間違いなく輝いていた。それはオレたちが一番よく知っているよ。
いつかどこかで、また会えると良いね。
輝いていた時をいつまでも忘れずに…。
失くして気がつく いつでもかけがえない人
涙でにじむ星空じゃ 未来さえ見えなくて…
愛がいつもそばにあると 気づかない 見えないものだね
こんなにも支えられて 励まされて 歩いてきたんだ僕等は
いつでも これからも… きっとどこかでめぐり逢う 形ある答え
僕にも見えるはず いつか解かりあえる 許しあえる そんな日が来るまで
言えない サヨナラは…
TUBE『きっとどこかで』
愛ちゃんへの想いはこの詞にほとんど納まっています。
愛ちゃん、言えないよ!
俺の口からサヨナラは…。
[埼玉県/恵里子にTry!]
《 いつもそばにいて 》
なんかめぐ姉さんが卒業って言われてもピンとこない。なんかこれからもいつのまにかそばにいるような気がする。
めぐ姉さんを意識し始めたのはおそらくしの(篠原智子)のイベントの時。温泉ツアー、ピクニック、晴着撮影会、FC解散式…そこにはめぐ姉さんが必ずいた。
その時からめぐ姉さんは無視できない存在になった。でも考えてみたら博子ちゃんと同じキャリアがあるんだからもっと早く気づけたのに。
そういえば96年春に松本でイベントあったときにしの・博子ちゃんといっしょだったっけ。あれが最初だったのかも…。
撮影/ブルーウェイブ
でも最近のめぐ姉さんはいつもいた気がする。実は去年のイベントをカウントしてみたら逢ったのは美香ちゃんについで、2位だった。
握手したのも美香ちゃんと同じくらい多い。それだけ身近な存在だった。でも握手の時って、めぐ姉さんと話すことってあんまりなくていつも「頑張ってください」で終わってたな。
いつもそばにいるのになぜか通り過ぎる事のほうが多かった。
今、卒業という時になっても実感がわかない。まだいるような気がして。
そして心の中では、二期生のみんながそろってお話しているのだろう。
めぐ姉さん、ほんとにお疲れ様でした。
[東京都/ホーカー・テンペスト]
☆久保愛さんへのメッセージ☆
愛ちゃんと言えばFCイベントやコンサートなどでは、ファンの皆さんを楽しませると言うことを忘れない、貴重な存在感のある人だなあと、僕自身思っています。
特に印象的だったのは、コンサートの時に歌った松田ゆかりさんが歌っていた『Kiri! Kiri! You'd be kiri』の替え歌の『Kori!Kori!KATA Kori』を聴いたときには、歌詞がおもしろくて、私は思わず腹を抱えて笑ったことがありました。
いろいろな思い出をありがとうございました。
いろいろな人から好かれる、素晴らしい人になってください。
[愛知県/杉浦嘉信]
久保さん、卒業おめでとう。
ぼくはファンになる前の96年、東京駅であなたからミネラル・ウオーターを受け取りました。
覚えていますか?ドナルド・ダックのTシャツを着たぼくを。
あのとき、ぼくは自分が制服向上委員会のファンになるなんて思ってもいませんでした。
ただ、熱烈な歴史マニアだったあの当時、史跡見学の途中で見た小柄な女の子のことは忘れていません。
そして、あなたからいただいた恵の水のおいしさも。
あなたは、もう大人だったんですね。
新しいファンのぼくにとって、あなたは、とても遠い存在でした。
本田さんと一緒の卒業が泣かせますね。
あなたと本田さんの友情は、一つの伝説です。
これからも、ふたり仲良く、いつでも過ごしてください。
今後、どうなされるのでしょうか?
もし、よかったらスタッフとして残ってくれませんか?
ぼくは、夢を見ています。
あなたが将来、コミティの社長になることを。
少し、大胆な夢かも知れませんね。
でも、期待しています。
これからもお幸せに。
[SKIノベライズ委員会]
まさか、めぐまでが卒業するとは夢にも思わなかった。
昨年11月の一人芝居で、「21才までアイドルを〜云々」のセリフを聞いたとき、「まさかなぁ〜(卒業を暗示すねものではないだろう)」と思っていたが、年末に届いたSKiインフォメーションで、卒業の事実を知ったときは、はっきり言って言葉を失ってしまった。
私にとって最後のイベントである『'99 新年のごあいさつ』をはじめとする様々な思い出は、永遠に忘れられない思い出になるでしょう。
このメッセージを書いている時点では、卒業後のことは分からないけど、めぐならきっと、幸せに人生を歩んでいってくれると私は思います。
最後に「ありがとう…」。
[論説委員/○ちゃん]
愛ちゃんとは握手会の時、なにげない世間話が多かったと思います。私には親しみのもてる感じがしていたのだが、本人としてはどうだったのだろう。SKiのファンさん(c)と一口に言ってもいろいろな人がいます。ファンクラブイベントなどで接してきて、何か得られるものはあったのでしょうか?
多感な時期、このような環境にいたことが、人生にとって良くも悪くも参考になればいいなと思います。新しいステップは不安定なこともあるでしょうが、気にせず歩んでください。
今まで4年半どうもありがとう。また、何かの機会で会えたらよろしくね。
[論説委員/ゆめのしずく]
昨年の11月15日のことである。私はFCイベント『スポーツ大会』で、久保愛の班に当たった。昼の休憩の時間に、私は何気なくめぐちゃんに尋ねてみた。
BW「 | ところでP会報に『世界不思議発見!』のコーナーって、あるじゃないですか。 あの原稿って、本当に最初からあんな風に(寄合歩の手によって)書いてあるんですか?」 |
愛「 | そうなんですよぉ!歩ちゃんって、すごいんですよう…」。 |
ここで私は、久保愛とは直接関係ない話をしているのにもかかわらず、「ああ、めぐちゃんも来年卒業するつもりなんだな」。と、直感的に思った。
言葉の裏で「私の跡継ぎは、歩ちゃんに決めたのよ」と、言っているように感じたからだ…。
めぐはいつも、さりげなくステージの上に立っていた。
いつでも、ステージ最前に立つ本田博子や橋本美香の後で、嬉々とした表情でバックコーラスをつとめていた。予定されたメンバーが出られなくなってしまった時のピンチヒッター役として、イベントに登場することも多かった。
高橋P「 | おいっ、愛。来週のイベント、◯◯行けなくなったんだ。ひとつ代わりに出てくれないか」。 |
愛 「 | いいですよぉー」。 |
こんな会話が、ステージ裏から聞こえてきそうであった。
ファンクラブ会報紙『P会報』の編集も、彼女の仕事であった。
私は、これまで数々のファンクラブに入会し、いろいろな会報を読んできたのだが、この『P会報』ほど内容が充実していて、発行が滞ることなく出され続けた会報紙は、あとにも先にもこれだけであろう。
内容を落とさず、継続してモノを作っていくことが、いかに大変なことか。彼女はこれを長い間ずっとやってきたのである。
そして、これらの事実はすべて、PTAスタッフから絶大なる信頼を得ている証でもあった。
表に裏に、まさしく“SKi史上最強のバイプレーヤー”だった久保愛も、いよいよこの春でステージを去ることになる。
めぐちゃんは、本田博子ちゃんと同じで、私なんかよりもずっとオトナですから、しっかりとこの先の人生もやっていけると思う。それに、中野社長から「お嫁さんにするなら、めぐみがいいわよ」と、太鼓判を押されたくらいの人ですからね。
今までの、長くて短いSKi時代のことを思い出にして、明るく楽しい人生を送っていってくださいね。
追伸 『アミーゴ!』『セニョリータ!』に続く第三弾、見たかったです。
[編集長代理/ブルーウェイブ]
撮影/ブルーウェイブ
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