last update:1999/04/10  


 Graduation '99

松井陽子 Yohko Matsui
《 知恵之輪士から松井陽子へ 》

松井陽子
撮影/ブルーウェイブ 

 以前、松井陽子に「陽子ちゃんは“トリックスター”ではないか?」という手紙を出したことがある。
 トリックスターというのは、変わったことをして人を驚かせて喜んでいる、ピエロのようないたずら者のことをそう呼ぶ。
 例えば、コンサートのクイズコーナーで問題を出すとき、他のメンバーは客が正解したときに「おめでとうございます」。と言って笑う。しかし松井陽子は、わざと難しい問題を出して客が間違えると、「ちがいまぁ〜す」と、実に楽しげに笑う。
 そして「私、中国人アルよ」と、謎の中国人のモノマネをしているときなども、妙に生き生きとした笑顔を見せる。
 こうしたトリックスターの行動原理は“他人の注目を集めること”であり、井上裕紀子が“歌を歌うために”ステージに上るのだとすれば、松井陽子は“客との触れ合いを求めて”ステージに上がるのであろう。

 ファンレターの返事に「私って、戸田さんが言うようにトリックスターなのかもしれナィ…。(中略) なんかそう手紙に書かれた時は、本当にその言葉がハマってるーってびっくりしました。戸田さんて人間を分析する才能があるんじゃないですか?」とあった。
 どうやら私の指摘は的を得ていた様子だが、分かりすぎるというのも恐ろしい事だ。
 トリックスター気質の人というのは、しばしば一人ではいられない人間であったりする。他人の注目を集めようとするのも、孤独に耐えられない事の裏返しだったりする。
 彼女が「父親がSKiで活動することに反対している」と言って泣いてしまったとき、その涙が何を意味しているのか分かってしまうだけに、自分も心臓をナイフでグサグサとやられているような気分になる。
 「あまり深入りしない方が良いな」と思ったけれど、もうその時には手遅れだったようだ。

 結局、彼女が泣くのを見てそれに耐えられないのは、自分自身の弱さに他ならない。
 彼女が家族の反対を押し切ってしまうほど強くはないように、私もかかわったところで何のメリットもない松井陽子を切り捨てられずにいる。
 案外、私と松井陽子は似た者同士なのかも知れない。
 だけども、だけれども。他人の力など借りず、自分の力だけで生きていけるという強い人間が、必ずしもすばらしい人間とも思えない。
 友人や家族を大切にすることは、多分、きっと良いことだから。
 悲しみはあやまちではない。純粋な想いは偽りではない。
 純粋な涙は宝物だ。それを大切にしていれば、いつかそれは真心に変わる。

 陽子ちゃん、これからもその悲しみを大切に。
 そして、友達や家族を大切に。
知恵之輪士より        
愛すべき人生の後輩 松井陽子へ


《 自分を大切に 》

 陽子ちゃんはまだ高二なのに、もう卒業ですか…。
 98年はほとんど活動休止状態でしたね。でも、久しぶりにコミティビデオ(Vol'300)で見た夏ごろのよっきゅんは、ずいぶんと大人になっていて、驚きました。どちらかというと、顔立ちからして幼いタイプだと思っていたのに…。
 そういえば、僕は97年の12月以来、生で見ていないんですよね。最後ぐらいちゃんと見ます。
 陽子ちゃんにとって、SKiが楽しい思い出となっていれば、それで十分です。
 まだ高校生。若いし、将来があるのだから、大切に日々を送ってくださいね。
 また、気分屋さんのよっきゅんだから、どうなるか分からないけど、やりたい事をみつけてください。世は世紀末。大不況だけど、自分を見失わないようにね。
[埼玉県/恵里子にTry!]



《 不運の「ひよこクラブ」》

 SKi3期生は、3つのグループに大別できる。1つが95年夏組で、現リーダー橋本美香をはじめ10人以上が加入したが、残ったのは7人(菊地,井上,斉藤,橋本,小林,片桐,宮田)だった。続いて96年春組が4人入ったが、これは内田絵美以外定着しなかった。
 最後が96年夏組で、松井陽子、佐藤幸香(ゆか)、小野田亜美の中学生トリオだった。
 陽子ちゃんは愛らしい笑顔とつよ〜い握手、そして中国人のマネに代表される面白いキャラクターが特長だった。幸香ちゃんは、歌っているときの元気でハツラツとした姿が印象的だった。亜美ちゃんは最年少の割には意外に落ち着いていて、ステージ度胸もよさそうだった。
 3人とも歌はある程度いけたから、近い将来は彼女達がSKiの中心メンバーになるものと思われた。
 P会報では「ひよこクラブ」と名付けられて対談もしていた。
 しかし、ひよこクラブの消滅は早かった。97年初頭、幸香ちゃんは突然脱退、同年4月には亜美ちゃんが休業した。陽子ちゃんは97年もガンバリ続け、ついに静寂向上委員会のリーダーにまでなったが、98年3月に突然休業し、今回残念ながら卒業ということになってしまった。

 もし3人が今SKiにいれば、高校1,2年だから、当然主力として活躍していたハズだ。そうだとすると、SKiも今とは違った魅力を出していたに違いない。
 もちろん、今の橋本・川野体制はそれはそれでいいんだけど、陽子ちゃんの卒業にあたって、不運だったひよこクラブのことも忘れてはいけないなと思った次第だ。
 最初の印象が強かっただけに、なおさらそう思ってしまう。
 この原稿を書いていた1月29日、P会報VOL.32が届いた。3ページに陽子ちゃんが笑顔でピースをしている写真が載っているが、その向かって右側に亜美ちゃんの顔が半分写っている。左側には顔は写っていないが、恐らく幸香ちゃんだろうと思われるメンバーが写っている。
 この写真が、不運のひよこクラブを象徴しているように思えてならない。
[論説委員/本間 寛]



☆松井陽子さんへのメッセージ☆

松井陽子
撮影/ブルーウェイブ 

 正直に言って、信じられないくらい驚いています。
 新三期生としてSKiに入会し、メンバーの一員として大活躍され、昨年2月からは学校の都合により休業…。
「もうしばらくしたら、復帰して元気な姿を見られるのかなあ」と思った矢先、昨年九月にコミティから来た手紙で卒業決定ということを知り、非常に残念です。
 僕の好きな曲の中で、岡村孝子さんの『夢をあきらめないで』という曲があるのですが、その歌詞の中に、このようなフレーズがあります。

 あなたの夢をあきらめないで 熱く生きる瞳が好きだわ
 負けないように 悔やまぬように あなたらしく輝いてね

 陽子ちゃんもこの歌のように、どんなにつらいことがあっても悔やまないよう、素晴らしい思いやりのある人になってください。
[愛知県/杉浦嘉信]



 七月のバースディ・パーティーで、あなたのことを見たとき、とても素敵な女性になられたと思いました。前は、とても子供ぽかったのに…。去年の夏に流行ったスリップ・ドレスがよく似合っていて…。
 陽子ちゃんにとっての“子供の時間”は終わったのですね。
 これから、あなたがどのような時間を過ごしていくかは知りませんが、残り少ない少女の時間を大切にしてください。
 素敵な彼氏が見つかるといいですね。お幸せに。
[SKIノベライズ委員会]



 「私はもう、アイドルとしてみなさんの前に出ることはないと思います」。
 この言葉を見たときは、正直言って驚いてしまった。一日でも早い復帰を願っていたが、恐れていたことが起こってしまった感じである。
 今までのコンサート・イベントなどの思い出は一生忘れません。今まで本当にありがとう。
[論説委員/○ちゃん]



 あなたのような人が、もう少しSKiで活躍できればよかったのになと悔やまれます。
 まことに不条理を感じます。でも、世の中思い通りにいかないのが普通だから、今とそして明日のことを考えましょう。
 思えば短かったと思います。にもかかわらず、しっかりと存在感があった陽子ちゃん。
 今までありがとう。高校生活をエンジョイしてください。
[論説委員/ゆめのしずく]



 よっきゅん、96年7月の《箱根バスツアー》で、そして97年に発行された、『おしゃれ制服向上委員会図鑑7++』で驚かさせてくれて、ありがとう。
 あなたには今まで何度となくビックリさせられましたが、嬉しかったです。
 自分自身の考えですが、あたしはよっきゅんを“SKiの超新星”だと思っていました。寿隊の隊員や静寂のリーダー、そしてWORSTのメンバーとして輝いていた頃が、今では懐かしく感じます。
 よっきゅん自身で決意した事だから何も言いません。SKiでの2年6か月、本当にお疲れ様。
 今後は普通の女の子に戻るそうですね。99年1月のボーリング大会での2SHOTポラを、宝物にしますので、よっきゅんもあたしの事、そして『こちら新宿3丁目』の事を忘れないで下さいね。
 今までありがとーっ。
[副編集長/みのる]



 よーこちゃん、長いようでいてほんとに短かった。あまり話す事なかったし、写真もあまり撮らなかったなぁ。1年活動してないから記憶も少なくなっていく。
 でも覚えているものもある。「私を忘れないでね」といいたげだった握手。握った手をスイングさせてたっけ。よーこちゃんなりの「自己主張」だったんだろうな。
 あと「小さな生命」歌ってた時。よーこちゃんにとても合ってて、よかったなぁ。
 そうだ、テキヤのツーショットで2回撮った事があったな。よーこちゃん、西郷さんの格好になってたっけ。お別れ会では、唯一まともに撮れる事になるのだろうか。

 いろいろ惜しい気もするけどもう復帰する事はないから…逢う事もないのかなぁ。
 でも最近は同窓会があるから、そこには来てたりしてね。

 よーこちゃんお疲れ様。しあわせになってね。
[東京都/ホーカーテンペスト]

松井陽子
撮影/ブルーウェイブ 



 よっきゅんは、いつも微笑っていた。
 “笑っていた”ではなく、“微笑っていた”娘だった。
 彼女は、先輩である二期生・三期生と、後輩にあたる四期生の間に一人挟まれ、上に下に、人間関係という点で、かなり気を遣っていた立場にいた。
 今にして思うとあの微笑は、そんな彼女の心理状態を象徴していたような気がする。

 私は一年前の今ごろ、「これからのSKiは、松井陽子がカギとなっていく」と予測し、彼女のこれからの飛躍をおおいに期待していた。
 その期待に応えるかのように、昨年二月の『'98カウントダウン』では、たった一人残った“新三期生”として、“静寂向上委員会”のリーダーとして、堂々とした振舞いを見せてくれた。
 『さよならは出逢いの明日へのしるし』を歌う彼女の姿を目の当りにして私は、「間違いなくこれから松井陽子はやってくれる」と思った。
 だが、彼女の歌う姿を見ることは、その日以来なくなった…。

 彼女が、この芸能界という世界を断念し(そう、断念なのだ)、普通の女性としての生き方を選んだこと。このことについては、私はなにも言わない。
 松井陽子が決めたことなのだから。
 でも、ちょっぴり悔しい気がする。いろいろな意味で。

 現在の松井陽子は、もはや“アイドル”としては動くことの出来ない身でありながら、最後まで『制服向上委員会』のメンバーとして、イベントやコンサートに出来る限り参加してくれている。
 そして、“よっきゅん”と皆から呼ばれ愛された彼女はこの春、制服向上委員会から胸を張り、ファンさんみんなに見送られて、堂々と卒業していく。
 それだけで、十分だ。十分ではないか。

 私たちの作る、吹けば倒れてしまうようなミニコミのことを、ずっと気に懸けてきてくれて、本当にありがとう。

 ありがとう、よっきゅん。
 そして、お疲れ様。
[編集長代理/ブルーウェイブ]



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