last update:1999/04/10
《 卒業していく彼女へ 》
今にしてつくづく思う。
私は、本当に井上裕紀子のことが好きだった。
98年の7月。初めは冗談半分だった。その頃、プライベートで嫌なことが重なり、何でもいいから普段とは違う行動をとりたかった。最初に“制服向上委員会”のコンサートに行こうと思った理由なんて、そんなものだった。
何を期待していたわけでもなく、ただ漠然とそれを見て、「ふーん」と思っていた。
その時、一人だけやたらと目に止まったのが、井上裕紀子だった。
何の予備知識もなく、何の先入観もなく、だけどゆっきぃの姿に引き込まれた。
ファンクラブの申し込み用紙を持って帰り、一週間ほど悩んだあげく、入会した。
コミティビデオを買い込み、私のSKi熱は徐々に加速していった。
8月、9月とコンサートに通い、11月の『寿隊公演』で、私のSKi熱は最高潮を迎える。
あれはいいコンサートだった。正直、音楽的には全く期待していなかったんだけど、ゆっきぃの歌に打ちのめされた。その力強いボーカルは、大音量のバックと見事に融合して、鋭く耳を突き抜けていった。
そして、12月。26日、27日と98年最後のコンサート。この時点では「ゆっきぃ卒業」なんて概念は全くない。楽しみで楽しみでしょうがなかった。上司から出勤を頼まれても断ったし、スキーの誘いも断った。
コンサート当日、私はアナログ板のレコードを二枚買い、前もって買っておいた赤いギフトバックにクリスマスカードと一緒に入れた。
生まれて初めて芸能人にプレゼントを贈る。こっ恥ずかしいやら照れくさいやら。でも、嬉しさいっぱいでそれを係の人に渡した。「喜んでくれるかな」。なんてドキドキしながら。
席について開演を待つ。胸が高鳴る。彼女に会える。彼女の歌が聞ける。
でも。その日、井上裕紀子はステージに現れなかった。
茫然自失。何を考えていたのかも思い出せない。拍手もできない。手拍子もとれない。
ただただステージを見ているしかなかった。ゆっきぃが歌うはずの曲を違う子が歌う。ゆっきぃが踊るはずの場所に違う子がいる。それは私にとって、あまりにも残酷な光景だった。
いくら私がSKi初心者でも、これが何を意味するかは見当がつく。
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撮影/ブルーウェイブ
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「ゆっきぃが…卒業する?」
涙が出てきた。信じられないことに、私は泣いちまっていた。
帰りの電車。涙はもう乾いていた。私は窓に映る自分の顔をぼーっと見ていた。イヤホンからゆっきぃの歌う『強がり』という曲が流れてくる。
人になりすまし 生きる事で 何も変わりはしない
歌がただ大好きで 他に取り柄もなくて
人を愛したい 愛されたい いつか本当の歌を
「ゆっきぃー」。
たまらなくゆっきぃのことを愛しいと思った。
そして今、1月も終わろうとしている。井上裕紀子がいない1月公演は行かなかった。
2月の卒業式と、3月のお別れ会で、私のSKiは終わりになるだろう。
私にとってSKiとは何だったんだろうと思う。夢でも見ているようだった。
醒めた瞬間、その間のことは全て無かったことになるんじゃないか。って気がする。それほどSKiという世界は現実感がなかった。
去年の7月から数えて約半年。たったの6ヶ月間だ。6年間という膨大な歴史からすると、私のファン歴などゴミのようなもんだ。
でも。楽しかったな。コンサートに行けばゆっきぃに会える。そう思えば嫌なことにも耐えられた。
CDやビデオから聞こえてくる歌に励まされたこともあった。メンバーのトークは、一時の安らぎだった。…熱病のように、私はこの世界に没頭していた。
何が正しくて何が間違っているかなんて分からない。SKiなんて知らない方が、時間は平穏に流れていたかも知れない。それでも、私は私の6ヶ月のSKiに一筋の後悔もない。
涙を流せるくらい何かに熱中できたと言うこと自体、幸せだったんだと思う。
夢なんかじゃない。そしてきっと忘れない。徐々に記憶も感動も薄れていくだろうけど、でも忘れることは絶対にないんだろうな、と思う。思っている。
先日、ゆっきぃから手紙が届いた。クリスマスプレゼントのお礼状だ。正直こんなことは期待していなかった。ゆっきぃはこんな小さなファンのために、自分の時間を使ってくれた。そのことが感動だった。たまらなかった。きっとこの手紙は一生持っているんだろう。そして、時々読み返しては、にやけるんだろう。
私のSKiは3月で終わる。その後はコンサートに行くこともないだろう。ファンクラブも辞めるし、会報も見ないと思う。
でも。これは想像なんだけど、何年後かに、私もすっかり結婚して、子供なんか出来ていて。そんなある日、もしかしたらSKi関連のホームページに接続しちゃったりして。
そこに例えば「11代リーダー就任。十二期生大活躍」。なんて書いてあったら、私はどういう反応するんだろう。「1回だけっ!」と叫びつつ、妻に内緒でコンサートに行くのだろうか。それとも夜、子供を風呂に入れながら「そうか。もう11代目かー」。なんて感傷に浸って終わりかな。
でもきっと、SKiの文字を見た瞬間、鋭く胸につき上がってくる何かがあるんだろうな。
それから。私を泣かせるほど熱中させた井上裕紀子のことを、そして本田博子の愛すべき天然ボケや、久保愛の鋭いツッコミを、強烈に鮮烈に思い出すんだろうな。
最後に。井上裕紀子さん。去年の後半、私はあなたに出会いました。たったの半年間でしたが、本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。あなたが笑えば、幸せな気持ちになれたし、あなたの歌に励まされたこともありました。もらった手紙は、あなたが幻じゃなく現実に存在する女の子だということを私に強く印象づけました。
きっと。悩んだり、悲しかったり、私や私の周りの人間と同じようにあなたも苦しみながら生きているんだろうな、と、思いました。
そして。どんなに苦しい時でも「歌うこと」にひたむきだったあなたの姿は、鋭く新鮮な感動でした。
ひねくれ者のおっさんに涙を流させるくらいにー。
もし、いつかどこかで君に会えたら、僕は最初にこう言おうと思う。
「あのころ、僕は君を見て泣いたことがあるんだよ」。
たったの半年間で、直接お話したこともないし、コンサートで見た回数も数えるほどです。
でも。今にしてつくづく思います。
ゆっきぃ。君のことが大好きでした。
[神奈川県/イチロー]
《 懺悔のメッセージ 》
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撮影/みのる
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あれはゆっきぃがSKiに入った時のこと。
某劇団のファンからその当時のゆっきぃの写真を見せてもらった事がある。その写真には、今とあんまり変わっていないゆっきぃがいた。
彼はしばらくゆっきぃを見にSKiのコンサートにも来ていたが、なにしろ住んでいた場所が岩手だった事、SKiがあまり好きでなかった事もあって、その後は見なくなった。
「ゆっきぃをよろしく」…彼にそういわれたのを覚えている。
ゆっきぃの応援を私が引き継ぐ形になったようであった。
あれから3年半…しかし私も、ゆっきぃをまともに応援できた事はついぞなかったように思う。
ゆっきぃははじめから出番も多くソロで歌う事も多かった。顔も特徴のあるかわいい子だった。
「歌を歌いたい」「絶対歌手になってやる」というコメントがあるとおり意気込みも強くあった。
本来は不満など出てきそうになかったはず。
でも見ててなにか物足りなかった。ゆっきぃの周りにはいっぱいファンがいた。“ゆっきぃ一推し!”も多かった。そうなると私は「もういいや」って感じになってしまって、なぜか周りに推しの少なかった(当時)美香ちゃんの方が魅力的に感じられるようになった…てなわけ。
それと「SKiのコンサート」という事から考えたらゆっきぃ(美香ちゃんも)の歌う出番が多かったのも問題だったのかなぁって思う時があった。でもそれはゆっきぃのせいじゃないだけに、見る時は複雑な気持ちになってよけい集中できなかった。
写真も多く撮る事なかったなぁ。それでもゆっきぃと話す機会はむりやり作ったし、他のメンバーではもらってない、ファンレターのお返事までもらった。9月にバースデーパーティーに行ったあとには、はがきまでもらった(ゆっきぃいちおしの人にはきていないのが不思議)。ゆっきぃがいろいろ反応してくれた時はうれしかったし、いっしょに話をしている時はとても楽しかった。今思えばゆっきぃに関してはかなり恵まれていたのだ。
これからも歌を歌う事は辞めないというゆっきぃ。いろんなアプローチがあるはずだから、よく見て判断して自分の歌が歌える場所を探してほしいと思います。
いつか必ず逢えると信じているからさよならは言いません。
また逢える日まで。
[東京都/ホーカー・テンペスト]
《 明日へ 、Go!Go!Go! 》
裕紀子ちゃん、卒業おめでとう。
「おめでとう」と祝って良いものかは分からないけれど、もう20才を迎えたしね。
ゆっきぃは南少からSKiに来て、何か変わったこと、新たに学んだことなどありますか?
えっ?お客さんが変わったって?それもそうかも知れないけど。
でも、みな形こそ違うけど、ゆっきいへの愛情の形の一つだったと思いますよ。ゆっきぃは、みんなに愛されていたからなあ…。
俺は君のこと一推しの時期もあったけど、早々にあきらめました。すごい人気だったから。とてもじゃないけどって感じで。
だけどいろいろありがとう。ツーショットポラのとき、いつもお願いしちゃってたけど、腕組んでもらったんだよね。ゆっきぃ、すごくうまいからビックリしたよ。でも、良い思い出です。
ゆっきいは、もう何かハッキリした目標というか、進む方向性が固まっているみたいなので、俺としても笑顔で見送れそうです。
卒業したらビッグになって(それがすべてじゃないし、絶対に正しくて良いことだとは言えないんだけど)、俺たちの前に現れるんだぞ!TVでもなんでも!
って訳で、前途明るいゆっきぃにはこれだ…。
涙なんかかなわない きっと越えてゆける
くじけない 止まらない ずっと駈けてゆこう
そうさ胸に手をあてれば 熱い風がいま聞こえる
Don't give up
J-FRIENDS『明日が聴こえる』
明るく元気にいつまでも…。
[埼玉県/恵里子にTry!]
☆井上裕紀子さんへのメッセージ☆
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撮影/ブルーウェイブ
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これは忘れもしない一昨年の5月5日のことであった。
当時私は、毎月のように京都から上京しコンサートに足繁く通っていたのであるが、その日こまばエミナースで見た一枚の張り紙。
“制服向上委員会”・第3期生「井上裕紀子」の件についてお詫びとお知らせ申し上げます。
この春より短大へ進学し不慣れな環境のなかで、SKi&DEAD FLOWERと学業の両立に努めてまいりましたが、目に見えないプレッシャーと、負けず嫌いの性格の裏返しの弱さにより、多大なる心労からこの度、長期休業する事になりました」。今まで「井上裕紀子」に対し、多大なる声援を頂き、本人に代わってお礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
今後については全く未定ですが、状況が見えましたら逐一発表しますので、何卒ご了承くださいますようお願いいたします。
普通なら入場時に見るものなのだが、新幹線に乗り遅れて遅刻寸前だった私は、公演終了後にこの張り紙を見て絶句してしまった。
開演中は「コンパか何かで酒を飲み過ぎて、二日酔いにでもなったのかな?」と考えたりもしたが、まさかそのような事情だったとは思わなかったので、なんだか自分が情けなくなってきた。
そして、帰り道はどのようにして帰ったか、今でも覚えていない。
気がついたら、京都の実家でボーっとしている私がいた…。
それ以来私は、何をするときも「これからゆっきぃはどうなるのだろう…。そして、SKiは…」と、四六時中考えていた。
5月も下旬になり、電話などで「もうすぐ、ゆっきぃが復帰する」という噂を耳にするようになるが、私の頭の中では“最悪のシナリオ”が描かれていたので、素直に聞き入れることが出来なかった。もちろん気持ちとして「1日でも早く復帰してほしい」と思っていたのは言うまでもない。
6月1日、「ゆっきぃが復帰する」という噂を聞いた私は、半信半疑な気持ちで、当時買ったばかりの愛車でJR京都駅に向かい、新幹線に乗り込んで上京した。
会場である日比谷屋音に到着し、複雑な気持ちで開演を待っていた。
「EVERYBODY! GO!GO!GO!」が流れた。ゆっきぃが登場した。
私はあまりの嬉しさで、終演後、携帯電話でゆっきぃ一推しのファンさん数人に電話をして復帰の旨を伝えた。帰り道は、新幹線の中で一人笑っていて他の乗客から変な顔をされ、京都駅から車を運転して帰る時も、いつの間にか反対車線の方を走ってしまっていたようで、下手すれば愛車もオシャカになり、私も生きて帰って来られなかったでしょう(笑)。
それから一年半経ったある日、私の手元に届いたSKiインフォメーションで、卒業メンバーの所にゆっきぃの名が…。
私の頭の中には、様々な思い出が走馬灯のようによぎって、なんだか悲しい気持ちになってしまったが、いつまでも沈んではいられません。だから、笑顔で見送りたいと思います。
ゆっきぃ、今まで私たちファンさんを楽しませてくれてありがとうございました。この三年半の思い出は、一生忘れません。
またいつかお会いできる日を楽しみにしています。
[論説委員/○ちゃん]
つい最近まで、FCイベントやコンサートに出ていたので、卒業してしまうと言う事実を知ったときには、正直なところ私自身、気持ちが動揺してしまいました。
ゆっきぃと言えば、95年の『真夏の祭典』で、最初の三期生として初めてステージに立った訳ですが、私もあの頃は、SKiファンになって間もない頃で、メンバーの顔も名前も分からなかったのですが、あの当時のことは今でもよく覚えています。
あれから三年。SKiメンバーとして歌やダンスも回を重ねるごとに確実にうまくなり、将来はリーダーかサブリーダーになるのかな?と、期待していただけに残念です。
これからも、自分が目指している道へ向かって頑張ってください。
[愛知県/杉浦嘉信]
SKi史上最大の歌姫の井上さん、あなたの素敵な歌声をいつまでも忘れません。
夢を大切に頑張ってください。
[SKIノベライズ委員会]
自分の信念に基づいて生きる。なんて素晴らしいんだろうと思う。しかし、それが知らず知らずのうちに自由を奪っているかもしれない。
良い音楽表現とは? 作品のすばらしさを意図せずとも引き出す、そんな風になれれば立派。かなりの経験が必要だけど。裕紀子ちゃんはこれからどんな歌手になるのだろう。
3年半お疲れさま。新天地での活躍も期待しています。
[論説委員/ゆめのしずく]
井上裕紀子の本当に歌いたかった歌って、いったい何だったのだろう。
歌唱力の高さゆえに、スタッフが、そして私たちファンさんが、彼女に対して足かせをしてしまったってことはなかっただろうか?
そんな訳で今、私はちょっと後悔している。
とは言え井上裕紀子は、そんな過剰とも言える期待に十分応えてくれた。
低音域から、まるで電気モーターの回転のように一気に高音域へと伸びていく彼女の歌声。それは、客席の幾人ものファンさんを虜にしていった。
“制服向上委員会に、井上裕紀子あり”。他のアイドルや、アイドル・ファンに対して、彼女の歌と存在は、胸を張って自慢できるものであった。
おそらく井上裕紀子はこの先も、ステージのスポットライトを浴び続けるであろうと思う。左手からマイクを離すことはないであろうと私は信じる。
だが、本当に“歌手”として生きていくとするならば、これからは今までよりも大変な生き方をしていくことになるであろう。
でも井上裕紀子ならば、きっと何かしらの結果を出してくれると思う。
SKiの時とは違った魅力を身に付け、より多くの人々を魅了する…。
そんな井上裕紀子に、いつかどこかで出会えたらいいね。
[編集長代理/ブルーウェイブ]
ゆっきぃ、SKiでの3年6か月、本当にお疲れ様。
あなたの笑顔や数々の思い出を忘れる事はないでしょう。
昨年8月に富山で行われたIJRキャンペーンでのクイズに正解したさいに「大切にして下さい」といただいたサイン色紙と、バースディパーティにて写った3SHOT(あたし、チャッピー、ゆっきぃ)は一生の宝物として大切にしたいと思います。
しばらく休養するとの事ですけど、歌を辞めないと言ったんですから、必ず戻ってきなさい!
ゆっきぃを応援してきた沢山のファンが、あなたを待っています。ですからファンの気持ちを裏切ることは絶対しないようにして下さい。
またお会いしましょう。Want.You!!
《追伸》 11月の『スポーツ大会』にて誓った約束は守りましたよ!
[副編集長/みのる]
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