last update:1999/07/07
◇ 好評連載 ◇
【第16回】文化人類学および心理学的見地からのアイドル考
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撮影/ホーカー・テンペスト
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今年も例年にならって、渋谷公会堂でSKiの卒業式が行なわれた。
今まで活動を共にした友との別れに、思わず涙ぐむメンバーも多かった。
毎年のことなのだが、さすがにお客さんで泣いている人はあまりいない。
当然、一推しが卒業するという人もいる訳だから、「もっとわんわん大泣きする人がいれば面白いのに」と思うのだが、みんな泣かない。
「やはりメンバーくらいの年頃の女の子は、多感で繊細なのね」などと感心してしまう。
それでは、なぜ女の子はよく泣くのだろうか。
現在考えられている理由は、男性の場合は泣くことは“男らしくない”とされているのに対し、女性の場合は比較的に泣いても良いという風潮があるからだとされています。
つまり「女性が良く泣く」というよりは「男性が泣いてはいけない」という教育を受けているので、あまり泣かないのです。
アメリカで行なわれたアンケートによると、一カ月に泣く回数は男性で平均1.4回、女性で平均5.3回だそうです。
このアンケート結果を見ると、確かに女性の方が良く泣くのですが、一番多く泣く女性は、一カ月に29回も泣くと答えたのに対して、少ない人は0回。つまり、泣かないという女性も多かったそうです。
男性は一様に「泣くのは男らしくない」と教育されるので泣く回数は少なくなるのですが、そうした制約の少ない女性は、その人の性格や境遇による個人差が大きいのです。
私は今、女の子が良く泣くのは、男は泣くのは男らしくないとされるのに対して、女はそうした制限がないからだと書きました。
こうした教育によってしつけられる“男らしさ”“女らしさ”の事を、生物学的な“オス”と“メス”と区別するために“性役割”と呼んでいます。
この“性役割”という言葉を最初に使い出したのは文化人類学の学者たちで、例えば、ニューギニア高地の七つの部族を研究したマーガレット・ミードは、部族ごとに男らしさ・女らしさの基準が違うということを研究し、男らしさ・女らしさは、その部族ごとの社会的制約によって決められるのだと考えました。
わかりやすい例を挙げると、日本では控え目でおしとやかな女性が『大和撫子』と呼ばれ、評価されるのに対して、アメリカでは奔放でセクシーな女性の方が「女らしい」と評価されるというような事です。(近年では、日本女性も開放的になりましたが)。
こうした性役割は成長にともなって学び取られるものです。
幼児ははっきりとした男らしさ・女らしさの特徴が無く中性的です。しだいに「男の子は外で元気に遊びなさい」「女の子はもっとおしとやかにしなさい」と育てられ、普通は生物的性別と同じ性役割を学び取ります。(まれに例外あり)。
20代で男らしさ・女らしさの区別はピークに達し、以後少しずつ差はなくなっていき、老人は再び中性的性格になっていくとされています。
ほとんどの場合こうした性差別は相容れない性質のもので、“男らしい”とされる事は女らしくなく、“女らしい”とされるものは男らしくない。ですから、男の子が成長して男性としての性役割を身に付けていくと、必然的に女性的なものは捨てていかなければならないことになる。
しかし、この時完全に女性的な部分を捨ててしまっている訳ではないのです。
ユングという心理学者は“男性の中にも女性的な心理が存在する”と説き、この男性の無意識の中に存在する女性原理を『アニマ』と名付け、同様に女性の中の男性原理を『アニムス』と名付けました。
つまりどちらか片方の性役割が発達すると、もう片方の性役割に属する心理は、常に満たされない欲求として、無意識のうちに抑圧される事になる訳です。
ギリシャ神話がしばしば悲劇に終わるのは、英雄としての大成、つまり男性的性役割の達成は、女性原理を破壊するというアイロニー(※1)を暗示している。
しかし中世ヨーロッパにおいて、それが劇的に変化する。当時のフランス宮廷で好まれたのは『ローランの歌』(※2)のような戦争の物語だった。それが次第に騎士たちの冒険とロマンスの物語に移り変わっていった。
こうした騎士道物語の結末として用意されたハッピーエンドの一つの定石は、美しい姫君との結婚であり、戦いの中で押し殺してきた“女性的心理”は、この結婚によって回復される訳です。
昔から「男と女が魅かれあうのは、引き裂かれた魂の片割れを探しているからだ」と言われますが、人は男らしさ・女らしさ性役割によってその逆の心理を無意識下に抑圧しています。
ですから“男らしい自分”“女らしい自分”というのは片割れにすぎない。それが「ジェントルマンはレディーに優しくしなければならない」理由で、自分とは逆の性を認め、受け入れる事で、始めて意識・無意識共に満たされる訳です。
前回、「私が初めて松田ゆかりを見たとき、以前から知っているように感じた」と書いたが、それに対するもう一つの解答が「私の中にも“アニマ”と呼ばれる女性原理が存在しているからだということです。
私が男として成長する間に捨ててしまった女性的な部分。可能性のまま現実にならなかった自分が、松田ゆかりに共鳴した。
彼女は“私ではない私”“私になれなかった私”なのだと考えている。
ファンのみなさんのアイドルの見方も、応援の仕方も人それぞれですが、アイドルファンの心理には、こうした無意識的女性心理が存在しているのだと考えます。
[群馬県/知恵之輪士]
※1 アイロニー=反語の意。主に皮肉という意味で用いられることが多い。
※2 かのフランク王、シャルルマーニュの十二勇士ローランの物語。
シャルルの本隊をイスラム軍から逃がすため、ローラン率いる部隊が盾として残り
全員玉砕するという、言わば『フランス版忠臣蔵』。
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