last update:1999/12/08
こまばへの道


 制服向上委員会というアイドル・グループの存在は、その結成当初から知っていた。
 知っていたが、当時、熱烈な歴史マニアだった私は、まだ、こうしたライブ・アイドルのイベントに足を運ぼうとは思わず、ただ時折、雑誌などで「ダメな人が集まる特別な世界」という感覚で興味を持つだけであった。
 そんな私に転機が訪れたのは、1996年2月12日の司馬遼太郎先生のご逝去だった。
 頭の悪い私にとって、司馬先生の著作は、この世で唯一理解できる歴史書で、この先生の死を知ったとき歴史の趣味を続ける上での指針を失ったような気がして空虚な思いが広がった。

遠藤舞香
撮影/○ちゃん 

 そんな私が、この年の秋頃、神保町の古本屋街を散策していたとき、書泉ブックマートに入り、そこで『スマイル』というミニコミを見つけた。
 そこにはSKi三期生の特集があり、少し興味を持ってファンクラブの案内書をとりよせ、チケットぴあに出向き、11月、1月、2月公演のチケットを申し込むと「売り切れです」といわれた。
 それを聞いて「SKiはものすごく人気のあるグループなんだ」と思い、とりあえず現場だけでも見ようと思い、東京FMホールヘと向かった。
 当日、入口へ入ると、例のポスターが掲示されてあり、当日券はなかったようなので、そのまま関係者出入口へと回った。そこには数人の女の子がいて、私はてっきりメンバーの友達かと思ったが、今考えてみればラジオ局に来ている芸能人の追っかけだったのかもしれない。
 この年のコンサートは見られなかったので、翌年1月のチケットを購入して、アルバム『傷だらけの青春』を手に入れて、それを聞きつつ、1月11日の『はじめましてスリーワン』を迎えた。その公演場所は、こまばエミナース。このときは四期生の入会式があり、上品でメロディアスな楽曲の数々に魅了された。
 続いて2月の卒業式を見た。このときは二期生の卒業で、吉成圭子さんもおられて、今思えば、このときがSKiのステージが最も力のある時期だったのかもしれない。
 次から次へと続く曲、5時間という長丁場が大作映画の好きな私にとても合い、このときほどの素晴らしいスデージをその後見ることはなかった。
 これ以降、忙しい仕事の合間を見てコンサートに通うようになったが、この年の私は仕事が忙しく、思うようには通えなかった。
 それに仕事の都合もあって何カ月先もの休日が分からなかったので、FCイベントに申し込んでも参加できるかどうかわからなかったので、ファンクラブには入れなかった。
 その私が本格的に活動できるようになったのは98年になってからで、この年の1月頃にFCに入り、各種のイベントに参加できるようになった。中でも最も楽しかったのが水上のイベントであり、家の中に閉じこもって歴史書と対話するだけの私にとっては、とても有意義なものとなった。それ以降、金の許す限り通い続け、今日に至っている。

 私がSKIの世界について思うことは、まず大卒者が圧倒的に多いのにも関わらず、学歴による差別や序列がないことである。
 私は、以前、歴史の世界にいたが、やはり大卒者が多く、経験と慣習の違いから活動を断念せざるを得なかった。それとミニコミが非常に質が高く良心的だということである。歴史の同人誌に所属していたが、どういうわけか私の原稀は、編集の人がおもしろくないと思ったのか、いつも載らなかった。が、SKIのミニコミは、きちんとリライトして掲載してくれるので、とても嬉しく思っている。
 ただ残念な事は、私が本格的な活動を始めた時点で、SKIが衰退期に入り、客同士のセクトも固まってしまって、私の入る余地はなくなっていたことである。今後、新しい客が入ってきても、皆「一見さん」で終わる可能性が高く、『逆玉企画』や、『際限のないロック化』への暴走など、末期的症状の見え始めたSKIにとっては憂慮すべき事態である。
 今後の私は残念ながら、資金面のショートからイベントにも通えなくなり、また、長年親しんだ歴史趣味への回顧から、SKIの現場から徐々に遠ざかっていくものと思われる。
 そんな私が、ここまで続けられたのも、四期生に代表されるふつうの少女たちが、穏やかな日常性をもたらしてくれたからだと思う。
 SKIが今後どうなるかはわからないが、今の長期低落傾向に歯止めをかけるためには、もう一度アイドル化を成し遂げる以外にないのではないかと思う。

 KS3が新体制になり、誌面の形態は変わらぬものの、内容は大幅に変更された。
 かつては、かなりのウェイトを占めた、この『こまばへの道』も掲載されなくなった。
 それは、以前と比べて新しい客が減ったこと。コアな濃い客が増えたため、もはや『こまばへの道』でもないということなのであろう。
 しかし、思い出してほしい。
 自分たちが、初めてエミナースを訪れ、SKIのめくるめくステージに心ときめかした頃を。
 私は、今のお客さんたちに“原点”を思い出してもらいたく、あえてこの時期に、この『こまばへの道』を書いた。
 今のSKIを活性化させ救えるのは、唯一、エミナースに集うファンだと思うからである。

[SKIノベライズ委員会] 



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