トップ目次

Graduation 2001  秋山文香   Ayumi Yoriai
 五期生



《文香ちゃんの明るさに助けられた自分》

秋山文香
撮影/ブルーウェイブ_

 卒業メンバーの中に文香ちゃんが入っていたことは意外、驚きとしか感じられませんでした。
 とても感じが良く、誰からも愛されるような女の子で、私が昨年、一年半ぶりに10月のIJRキャンペーンに足を運んだときも元気いっぱいに『Y・A・D・A』などを熱唱してくれてました。
 「これからも頑張っていくという意気込みなんだろう」。とさえ思ったものでした。
 彼女は特にそのボーカルの力によって名実共にSKiの中心メンバーになった訳で、アルバムなどを聴いていても、もはや彼女抜きでのSKiは考えられないという存在でした。
 また私は個人的に次期リーダーを、文香ちゃんかえりりんだと考えていたくらいなので、先にも述べた通り私にはこの卒業は意外だったのです。
 今の私の心境は、“残念”だ(もちろん“残念”という気持はあります)というよりも、今後のSKiは一体どうなってしまうのかという危機感を感じます。
 残されたメンバーの中でボーカルが飛び抜けたメンバーはいないという話ですし、また、文香ちゃんのような人をいつも楽しませてリラックスさせてくれ、フレンドリーなキャラの娘が一人抜けてしまうことは計り知れない影響があるように思います。
 SKi全体の観点から見れば、文香ちゃんの卒業はこれまでの様々な卒業劇の中でも手痛い度合いが強いと思います。

 さて、文香ちゃん個人のことに話を移そうと思います。
 彼女の持ち味である、あの“超ハイテンションさ”は入った当初から衝撃的でした。
 当時は「田村千秋の再来」などと言われた程で、撮影会の時も自分からポーズを取るなど、それはそれは新人離れしていました。でも、何と言っても、文香ちゃんの面白い話を聞いたり、FCイベントでおしゃべりしたりするのが楽しかったです。あの爆発的な明るさで何度、楽しく過ごせたり、嫌なことも吹っ飛んだりしたことか分かりません。
 でも98年のお花見の時は、同じ文香班の人たちが妙に緊張していたせいか盛り上げられなくて、文香ちゃんがせっかくそばにいたのに残念だったし、何か自分としては悪いことしちゃったなあと少し悔やんでいます。もっともっといっぱいおしゃべりしたり、遊んだり出来たと思うんです。そういう親しみやすく、接しやすい女の子でしたから。友達だったらサイコーだろうなと今でも思います。女の子だからって、変に緊張することもないし(でも、可愛いんですけどね)。

 私は文香ちゃんが卒業する公式発表の理由さえ知らないので何も言えませんが(※)、考えてみれば文香ちゃんも今年で20歳です。20代に入ってからは、あれもこれもやろうと思ってもなかなか出来ずに、時間だけが過ぎ去ってしまったりするものです。
 だから他のものは無駄にしたとしても、時間だけは無駄にせず、自分のこれからのためによく考えて大切に使っていって欲しいです。どんな道を歩むにせよ。
 そして、出来れば、いいや、ぜひぜひその明るさ、フレンドリーなところは変わらないSKiの時と同じように誰からも愛される文香ちゃんでいてください。人に憎まれず、可愛がられるなんて自分の特権だと思っても良いくらいだよ。
 何しろ俺は、文香ちゃんのこと憎めたことなんか無かったもん。て言うか、可愛いと思ってた。内面的にもね。
 そんな文香ちゃんを一年半の長期入院で見れなかったことは、今でも悔やんでも悔やみきれないけど、こうして何とか卒業までには間に合ったので良かったです。

 2月24日はあなたの最後の姿をぜひ見届けます。あなたがいなくなるのは、俺にとっは灯が消えたように寂しくなるけれど、今後の人生が苦難がありつつも、無事泳ぎ切っていけるよう祈ってます。そして、俺達にしてくれたように、その爆発的な明るさで周囲の人たちの心を和ませ、暖かいものにしてあげていってください。それが出来るのは文香ちゃんだけなんだからさ。
 また、このSKiで過ごした数年間が文香ちゃんにとってプラスに働くもので、前向きなもので、そして何より俺達と過ごした時間が楽しかったのならば、それで俺は十分だと思ってます。それで幸せでした。
 長くもあり、短くもあったこの3年弱、その明るさで俺達を包んでくれてどうもありがとう。そして文香ちゃんにはこの言葉が最後には似合うかな?

 「達者でなっ!」。

 P・S
 俺の親友が99年だったと思うんだけど、中野サンプラザの『モー娘。』コンサートの帰りに、文香ちゃんが快く握手してくれたことをメチャ喜んでました。ありがとうって言ってた。
 それ以来SKiについての話になると、必ずその彼とは文香ちゃんの話題になったものです。彼も2月24日は観に行きたいと言っています。
 本当、文香ちゃんは誰からも好かれちゃうんだね。いいなぁ〜(笑)。
 でも俺もその時は入院していたんだけど「文香ちゃん変わらないなあ」と嬉しく思いましたよ。
 「早くリハビリ頑張って会いに行こう」って思えたし。おかげで今は松葉杖無しで歩いています。
それも「ありがとう」と言わせてください。

 なんかいっぱい明るさをもらっちゃったよね。ありがとう。

  (※) この原稿は、2001年1月に書かれた物です。
【埼玉県/恵里子にTry!】 



《平成11年秋(山)の思い出》

 平成11年10月11日、四谷区民ホールで、コンサート前にメッセージ付きサイン会が行われた。
 自分が会場に着いた時にはもう大勢のファンが集まっていたが、まだ整列はされていない。申し込み開始少し前に列が出来たが、自分は少し後ろの方になってしまった。
 時間になり、列に並んで阪口さんのチェックを受けてから、各メンバーのところに再び並んだ。
 文香ちゃんの列に並び、書いてもらう番が来たときに、文香ちゃんが僕を見るなり「あ、テレビで見ましたよ」と言われた。なんでも文香ちゃんがテレビを見ていたとき、僕が映ったのを見たとのことだった。
 これには一応心当たりはあるのだが、決して出演した訳ではない。
 おそらくそれは、この年の9月17日に渋谷・タワーレコードで行われた、吉井怜、吉川茉絵出演のビデオ『仮面天使ロゼッタ・漆黒のフレイア』の主題歌『Cool Girl』発売記念イベントの模様である。この時には多くのマスコミ取材班が来ていて、その時にテレビカメラに撮られてしまったのであろう。
 この時「まずいっ!」という気持と、「あ、顔は覚えてもらえているんだ」と二つの気持があった。
 このイベントは知人のWさんと一緒に観ていたのだが、Wさんにはこの話はしなかったようだ。
 メッセージサイン会の後に行われたこの日のコンサートは、複雑な思いで観ることになった。
 あのイベントは、吉井怜さん目当てで観に行った訳だが、そもそも何故彼女を観に行くようになったかというと、僕は元々吉成圭子さんのファンだったのだが、そんな吉成さんと同じような髪型としゃべり方をする吉井怜に対して、吉成さんのイメージがダブってしまうと言う思いがあったからだ。

秋山文香
撮影/ブルーウェイブ__

 月日が立ち、平成11年11月13日。ブックファースト渋谷店で行われた吉井怜サイン会。この日は早めに行くつもりだったが家を出るのが遅れてしまい、あせりながら急いで会場に向かった。以前のようにきっと今日も取材班が来ている(実際、来ていた)と思ったので、今度は撮られないように、特に文香ちゃんには見つからないようにしなければと思いながら渋谷へと向かった。
 渋谷駅に着き「これなら開始10分前くらいには着きそうだ」と少し安心して店に向かう。そして「あの道路を渡れば会場だ」と思い道路を渡っていたら、道の反対側になんと文香ちゃんがビラを持って立っていた。
 これは夢ではない。こっちが気が付いた時にはもう目の前だった。
 「はい、○○さん」。とビラを渡され、「何でいるのっ」。頭の中がパニクった。
 そしてすでに来ていたSKiファンの人から「ここへ何しに来たの〜」みたいなことを言われたと思うが「もうばれてるもんっ」。二度目だよっ。おまけに明日は文香ちゃんのバースディ・パーティーだというのに・・・・・・。
 明日どんな顔して行けばいいんだ。こんなことってあるんだなぁ〜。かなりあせったが時間とともに落ち着きを取り戻し、サイン会は後回しにして、文香ちゃんのビラ配りを見守ることにした。
 この日はスタッフのY君と二人で文香ちゃんは来ていた。本当は小田さおりちゃんも来るはずだったが、急病で一人になったらしい。
 一年くらい前に新宿三丁目でやったビラ配りを見たときには、メンバー5人でやっていた上に、大勢のファンさんに囲まれてやっていた。だからその時は心強かったであろうが、今日みたいにメンバー1人で、その上ファンさんのほとんどいない所でやるのは寂しそうだなあと思った。前に歩ちゃんだったであろうか「ビラ配りは寂しい」みたいなことを言っていた記憶がある。
 文香ちゃんに「写真集の袋を持っている人は、ビラをもらってくれると思うよ」とアドバイスしたりもした。
 この時、SKiファンでない通りすがりの男が二度、三度と文香ちゃんの所に立って来て何やかんや言いながらしつこく手を触ってきて、見ているこちらは腹が立った。
 文香ちゃんと色々なお話をしているうちに、お別れの時間となった。駅の方に向かって行った文香ちゃん達を見送ってから、吉井怜のサイン会に行き、サインと握手をしてもらった。サイン会に来たはずなのに、サイン会がついでになってしまった。

 翌日11月14日。『秋山文香・バースディパーティー』が行われ、僕は振り替えの方に参加した。
 中に入ると文香ちゃんがお出迎え。「昨日はどうも」と文香ちゃんの方から言われてしまった。昨日は僕を含めて4人のSKiファンがいた。他の人も言われたのではないかと思う。
 この日の“質問コーナー”で、僕は「ああいう所で自分のファンを見るのはどんな気持か」を聞いてみたら、「やっぱり誰かいたほうが・・・」みたいな返答だった。
 他のファンさんは「よく見るテレビ番組」を聞いていた。僕もこの質問を他の時にすることがあるが、よく返ってくる答えが「私、あまりテレビ見ないんですよ」。この日もこの返事だった。この時手を挙げて「テレビを見ないのに、どうやって僕をテレビで見ることが出来たのか」を聞いてみたかったが(笑)、それはやめておいた。

 去年の7月、吉井怜さんが急病で倒れ、三ヶ月の入院が必要であると発表されたものの、三ヶ月を過ぎても何の発表もなく、僕は不安に思っていた。
 しかし12月下旬にようやく無事に退院したとの発表を聞き、とりあえずほっとした。
 が、その一週間後、秋山文香ちゃんが卒業するとのお知らせが届いた。
 「助かった」と安心していた所を、いきなり崖から突き落とされたような思いであった。
 文香ちゃんの卒業は、『19歳・バースディパーティー』の時に予想出来たが、そうであって欲しくないと言う気持が、それをうち消してしまっていた。
 これから文香ちゃんを初め卒業生達がどうするか気になるが、ファンはお別れするしかない。
 悲しいけど、さようなら。
【埼玉県/夢のまた夢】 
  ※この原稿は、編集部によって一部リライトさせていただきました。



《やめる、やめない〜秋山文香卒業》

 秋山文香ちゃんが卒業するのではないかという予感は、かなり前からあった。
 彼女が作詞した『Y・A・D・A』の歌詞に「やめる」「やめない」と悩んだ末に、本当にやりたいことを見つけるというフレーズがあったからだ。
 昨年の『生誕8年祭』では、あるいは文香ちゃんがリーダーを継承するのではないかと思っていたのだが、それもなかった。
 そして12月30日、自宅に届いたP会報Vol'43で、彼女の卒業が決まったことを知った。
 文香ちゃんは、入会当初から即戦力として活躍し、SKi本体はもちろん、4人1組や寿隊といったユニットでもなくてはならない存在だった。
 ステージにおける文香ちゃんは、ルックスが大人っぽく、身長もメンバーで一番高いうえに、歌声がパワフルということで、スケールの大きさを感じさせてくれた。
 しかし、FCイベントで話してみると、とてもお茶目で楽しい女の子だった。
 昨年の『忘年会』でヤキソバが出てきて、私が「これ、UFOだったりして」と言ったら、彼女はすかさずピンクレディーの振りマネをしてくれた。P会報Vol'43掲載のスポーツ大会でのスナップ写真では、紙コップを口にくわえておどけている姿が写っていた。
 こういうタイプのメンバーは、今までのSKiにもいなかったし、今後も得難いキャラクターだと思う。
 最近は少し太った(本人談)らしいが、元々痩せすぎなくらい細かったのだから、今ぐらいでちょうどいいと思う。むしろ女性らしさが出てきて、とてもキレイになったのではないか。
 それだけに、正真正銘の大人になる20歳まで文香ちゃんを見続けていたかったのだけど、彼女が自分でやりたいことを見つけた以上、ファンとしては暖かく送り出してあげるしかない。
 毎年のことだけど、ファンというのは辛いものだ・・・。
【編集委員■本間寛】 



 秋山文香ちゃん御卒業おめでとうございます。
 あれから三年・・・あっと言う間ですね。
 意外と思い出とかなかったかも知れないけど、私は文香ちゃんの元気なところがとても好きでした。
 私も文香ちゃんからたくさんたくさん元気をもらいました。そんな文香ちゃんもSKiを去ってしまうのですね・・・
 そして、今まであった事で私とよく似た事があります。それは、

 「歌詞やセリフが覚えられなくイライラしたり、上手くいかず落ち込んだり悩んだり、そんな時に優しく声を掛けてくる母親にキツクあたって泣かせてしまったり・・・はっきり言って一年も経たないうちにやめたい!と思っていました」
(P会報Vol'44 3ページから一部抜粋)

 もちろん、文香ちゃんの気持ちも痛いほどわかる(とは言え、母親にキツくあたるのは感心できないけど)。私は現在、家業の不動産を主とした会社である事業を任されている。最初の時は本当に苦労した(今でも苦労しているが)。なかなか上手くいかなくて、誰もいない事務所で落ち込んだりしていた。時には、事務員などに八つ当たりする時もあった。私も文香ちゃんと同じく任されるようになって一年いや半年も経たないうちに「辞めたい」と思った。
 このコメントを見た時、「あっ!私と似てる」と思った訳である。
 いろんな苦難を一歩ずつ乗り越えて、今の文香ちゃんがいるのですよ。
 人間と言うのは、一気に何もかもできる訳がありません。

 一回決めた事だから「卒業するのが嫌になった」何て言わず、新たな道で頑張って下さい。
 もう直接応援できないのはちょっと辛いけど、陰ながら文香ちゃんの応援はしていくので時にはOGとして遊びに来てね。
【副編集長■竹ちゃん】 



 文香ちゃん、SKiでの活動、本当にお疲れさまでした。
 私が文香ちゃんに注目するようになったのは、鎌倉の『寿隊ツアー』のときだったかな。
 お話会のときだったと思うけど、色々と迷言(?)が続出したりして楽しませてくれた、そんな文香ちゃんですが、今も“卒業”してしまうことが信じられないくらいです。
 会えなくなるのはつらいのですが、いつまでも皆さんを楽しませるキャラクターを持った文香ちゃんでいてください。
 今まで本当にありがとうございました。
【愛知県/杉浦嘉信】 



  夢って、本当に叶うことがあるんですね。
 「歌手になりたい」
 そんなことを思っていたときに訪れた偶然と幸せ。
 夢を叶えることの難しさ、そして信じれば必ず訪れることの素晴らしさを文香ちゃんは教えてくれました。
 僕の周りで漫画家と在野史学家を志す女の子たちにも伝えてあげたいと思います。
 夢を捨てずに頑張れ!
【SKIノベライズ委員会】 



 アキさんを最初に見たとき、手とか足とかやたら細くて「ケンカとか弱そう」と思いましたが、いざステージに立てば、歌にダンスにエネルギッシュなアキさんを見ることが出来ました。
 私の中では、そんなアキさんは正に“ファイアーガール”。自らを燃やして、みんなに明るさと暖かさを振りまいていました。
 これからも、その明るさを忘れずに。
【群馬県/知恵之輪士】 



 文香ちゃん、お疲れ様。なんかこうして卒業となるとさみしいやね。
 特段文香ちゃんを推してた訳じゃないけど、逢う数は美香ちゃんについで多かった。イベントに行くといつも明るい文香ちゃんに救われるところもあったし、文香ちゃんと一緒のときは楽しかったな。いつもつっこんでくれたしね(笑)。
 一番の思い出は一番最初かな。98年のお花見。初めて文香ちゃんとお話したわけだ。私と本間さんがずいぶんつっこんでたことを覚えてますよ。あの時はほんとうに細くてすごく心配だったけど、今はすっかり女性らしくなってきました。
 P会報の写真、すごくかわいくてきれいでしたよ。
 これからどんな道に行くかわからないけど、いつも元気な文香ちゃんでいてほしいな。それが一番文香ちゃんらしいからね。文香ちゃんの思い出は忘れずにとっておきますよん。
【編集委員■ホーカー・テンペスト】 



 私は以前に一度だけ、秋さんが卒業するかも?と思ったことがあります。それは『さよならへの旅立ち』を聞いたときです。この歌詞を聞いてそう思った人は他にもいるかもしれないですね。だけど、このときの予感は外れました。
 歌っているときの秋さんはカッコ良くて、特に寿隊の「寿梁山泊」はとても好きです。それから、去年は秋さん作詞の『Y・A・D・A』がとても気に入りました。『Y・A・D・A』を歌っているときの秋さんは、それまで以上に生き生きとしていてカッコイイです。この歌を聞いてみて、秋さんは自分のやりたいことが見つかったんだと思いました。
 SKiの卒業は少し寂しいですが、これからそれに向かって頑張って下さい。素敵な歌をどうもありがとう。
【東京都/目黒良幸】 



 私が文香ちゃんに対して一番印象に残っていることは、何と言っても彼女自身の初めてのMCの時にツッコミを入れてしまい、MCを飛ばさせてしまったことだ。

秋山文香
撮影/ブルーウェイブ_

 この日私は、スタッフの本間さんから一番前の席をゆずってもらってこの日のコンサートを観覧することとなった。
 オープニング早々、MCとして文香ちゃんが出てきた。
 緊張気味にしゃべり出す彼女へ、私は何の気なしにぽーんとかけ声を掛けた。
 その瞬間、彼女はの口から次の言葉が出なくなってしまったのだ。そう、MCでのセリフを飛ばしてしまったのである。
 後日私は手紙を出し、このことについて謝った。
 数日後、私の所に彼女からの返事が返ってきた。
 そこには「山本さんが悪いんじゃないです」とあった。
 短い手紙ではあったが、秋山文香のやる気と本気が文面から伝わって来た。

 文香ちゃんのノリの良さは、歴代のSKiメンバー中、屈指の物であった。
 先日行われた『ごあいさつ』で『明日への勇気』を歌った時、メンバーとファンさん全員で“斜め45度の呪術的ダンス”をやろうということになったのだが、その時に文香ちゃんは、全員のリードを取った有名客・ゆずぽん氏も顔負けのド派手なアクションで“呪術的ダンス”をやってのけていた。
 このノリの良さが、ファンさん達の心を掴んだ一番の理由であることは言うまでもない。
 余談だが私は、文香ちゃんは日本で一番“アホの坂田”のマネが上手い女性タレントだと思っている。もし『アホの坂田・振りマネ選手権』なんてコンテストがあれば、女性部門でブッちぎりで優勝するのではないかと思う(そんなもん、あらへんあらへん)。

 しかし、彼女の魅力はこれだけではなかった。
 私はアイドルの写真を撮るのが大好きな人間なので、FCイベントの『撮影会』にはいつも張り切って参加しているのだが、その中でも文香ちゃんのことを撮るのがすごく好きだった。
 撮影タイム中、いつもの通りにファンさんたちと談笑しながら、笑ったり、時にはおどけたりして様々な表情を見せてくれた。
 だが、その間にふとかいま見せてくれるオトナの表情。これが私は好きだった。
 昔、SKiのメンバーが皆持っていた魅力。それを文香ちゃんは見せてくれた。

 日比谷でのあの日から、三年近い日々が過ぎた。
 この三年間、SKiにおける“歌唱”という面でのファクターにおいて、文香ちゃんに多大な負担がかかっていた。そのため正直言って、私は文香ちゃんに対しては誌面で厳しいことを言い続けたと思う。
 彼女への期待が高いが故に、「何故出来ないのか」。「もっと出来るはずではないのか」。
と厳しい言葉になっていた。
 それだけに、昨年『Dancing with Devil』をコンサートで観たとき、ものすごく感動した。
 この厳しい状況の中で、本当によくやってくれた。そして言いたい。
 「ありがとう」と。

 「これからもアヤカらしく、笑って笑って笑いまくって元気に行こう!と思います。
  だからみなさんも、さあ!笑ってくださいな。」
P会報 Vol'44より
 分かってるって。文香ちゃんに似合うのはやっぱり笑顔が一番。
 だから、最後まで笑って、踊って、はしゃいで見送るよ。
【編集長■ブルーウェイブ】 



KS3トップページ2001年春号目次

Copyright (c) 2001 Kochira Shinjuku 3-chome