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Graduation 2001
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三浦恵里子 Eriko Miura
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四期生
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わかってはいたが、いつかこういう日が来るとは思っていた・・・
ファンになって7年目に突入した私なら、一推しになった時点でこういう日がくるのはわかっている。新たな道に進むのだから嬉しい反面、ある意味残念に思うのと一緒になってしまう。
でも私は、「三浦恵里子」という女の子いや一人の女性に出会えて良かったと思っている。それに感謝の気持ちでいっぱいである。
1998年1月11日から、えりりん一推しになって以来ずっとえりりんの笑顔の魔法によって、今までにないSKiふぁんさんライフを楽しんでいた。
私がえりりんふぁんになって変わった事(ふぁんさんライフとして)がいくつかある。それを挙げてみよう。
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撮影/竹ちゃん_
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1.FCイベントにも積極的に参加
実を言うと私は、えりりんふぁんになるまでコンサートはほぼ毎月行っていたが、FCイベントはほとんど参加していなかった。せいぜい1月に行われる“ごあいさつ”(撮影会)ぐらいだった。勿論、FCツアーは行った事がなかった。
でも、「えりりんを応援したい!」この気持ちで全部はさすがに無理だったが、できる限り参加するようになった。
2.車の走行距離が急激に伸びた。
98年1月でせいぜい35,000キロぐらいだった愛車(本誌編集長・ブルーウェイブ氏は「えりりん号」と言うが、世間一般では「トヨタ・コルサ」)の走行距離が、今年の1月で112,100キロである(苦笑)。3年間で7万キロ以上。ちなみにこの車はアイドルのコンサートやイベントへ行く足だけに使っている(それ以外の時は別の車を使用)。
えりりんに会えるという嬉しい気持ちの表れかも知れない。そのために往復で1,000キロ以上の道のりを平気で走るのだから・・・。
3.いろいろな人と知り合えた。
えりりんふぁんになって、『えりりんスマイル』を発行して、購入してくれる人はもちろん、ミニコミの存在を知っているという人などと知り合えて、いろんな出会いというのを教えてくれた。
実は昨年の9月から何となく「来年は覚悟しなければ・・・」という気持ちになってしまった。
それには2つの要素があったからである。1つは、来年えりりんは高校3年生になる。それは、誰であっても進路を決めなければならない時である。もちろん私が高校3年生の時もそうだった。もう1つは、SKiのリーダーが3期連続で橋本美香ちゃんが就任したからである。
2000年9月24日
この日は、検定試験のためえりりんは遅れて参加するとのことだったので、私にとっては不安でしょうがなかった。でも、えりりんが登場した時は嬉しさでいっぱいだった。
しかし、夜の公演は仕事上の客と会う用事があったため、観ることはできなかったが・・・。
2000年10月某日
IJRキャンペーンのラッシュで、えりりんが出る回ぐらいは参加したいなあと思っていたが、出張や業界団体の会合等で1度も参加できなかった。
さすがの私もこの時ばかりは自分の仕事を恨んだ。
2000年10月29日
10月29日の『エリリン&マイマイジョイントコンサート』は、行かなければ一生後悔すると思い行った。その時のえりりんは、シャレにならないぐらい可愛くて、歌もとても魅力的だった。「えりりんは、まだまだ大丈夫だろう」と心のどこかで安心していた。
2000年11月5日
今世紀最後の車での上京である『SKiのスポーツ大会』。えりりんチームではなかったが、最後の握手会で「先月のキャンペーン行けなくてすいません」と謝ったところでスタッフに急かされるという結果に・・・。なので、えりりんの反応を確かめることができなかった(泣)。
2000年12月10日
12月10日、『SKiの忘年会』でえりりんが自分のいるテーブルに来た時、私は満面の笑みではしゃいでいたらしい(読者のM氏によると)。
以前えりりんスマイルにも登場した心優しい友人からいろいろとツッコミなどを受けて(それが何故か快感に(笑))、いろいろと楽しい思い出ができた。
2000年12月23日
有料お返事(笑)の“ビデオレター”が届く。早速見ると、「おっはー」で始まる。
私が書いた手紙を読んでいるようだったが、仕事が忙しくて(本当です)なかなかコンサートやイベントへ行けない事を詫びる文面に対して、「仕方ないです」と言ってくれたので少しは気が楽になった。でも、それに甘んじることなく、行ける時は行って応援するつもりである。
えりりんが言うには「京都とSKiはつながっている」らしい。確かに魅力があるからこそ京都から新幹線、バス、時には愛車で行くのだ。そういう意味ではつながっているのかも知れない。
2000年12月24日
『SKiのクリスマス』。1回目に参加したが、えりりんの朗読は楽しくて、居眠るなんてとんでもない(笑)。いろいろな擬音(「ブチュ」とか)が結構笑えた。
テキヤのツーショットポラでは、いきなり“希望メンバー1名”ここまでは良かったが、“客がアフロ”である。しかもえりりん大笑い。そりゃそうだなあ(爆笑)。ある意味いい思い出だった。
ちなみにその後は7期生×2回、希望メンバー1名。
2000年12月28日
ビデオ会報が届く。と同時にSKiインフォメーションも届く。
そこには卒業生にえりりんの名前が・・・。
その時はさすがにショックだった。いろいろ考えたいところもあるので、
その日の予定は全てキャンセル。家に帰ってから一人でずっと考えていた。
いろんなふぁんさんのところへ電話したりした。まあ、誰かに聞いてほしいってのが
あったかも知れない。この時期になると少しはヘコむ。もちろんいつまでもヘコんでられないのは分かっている。でもしばらくはこうさせてほしいと思った(この数日前に友人が事故で亡くなったので尚更心が弱っていたのかも知れない)。
卒業式には笑顔でさよならしたいから・・・。
2000年12月31日
この日は、コンサートがあるのだが、私は実家へ帰らねばならないため残念ながら不参加。読者の新聞屋さんの報告、そして編集委員のゆめのしずく氏からのメールで、えりりんが涙を流した事を知る。
『えりりんスマイル』最終号のレイアウト、原稿募集の文章などを部屋で考える。
なんだか卒業するという実感がまだわかない。
2001年1月3日
小学校時代の友人から「初詣行こう」と誘われたので、伊勢神宮へ行く。
そこで自分用の交通安全のお守り、そしてえりりんへ受験のお守りを買った。私には時間がないのだから・・・。
2001年1月7日〜8日
『新年のごあいさつ01』。私はここ2年えりりんが出る回しか申し込まないようにしている。なので、当日券は買わないつもりだった。でもいろいろ考えた結果、申し込める分だけでも申し込む。
えりりんを撮るチャンスは5回。私は、悔いの無いように撮った。撮っている時、感慨深い思いをする。
2001年1月
コミティからSKi保険の指名メンバー変更のお願いのハガキが届く。いよいよこの時が来たのである。最初はこのまま変更しないでおこうとも考えたが、某メンバーに変更の旨をコミティへ送る。
2001年1月28日
『SKiのボウリング大会』に参加。お別れ会を除けばえりりんが出る最後のFCイベントである。メンバー抽選では当たらなかったが、記念ポラの時、えりりんに笑顔で「ワースト5位」と言われ、握手会では「竹ちゃんは、スポーツ大会でもボウリング大会でも何かやらかしてくれるので〜」と言われる。確かに昨年のボウリング大会では最低チーム賞もらったり、スポーツ大会では散々なところを見せてしまったりしたがこれもいい思い出である。
私は、無理してカッコいいところ見せるより自然体でいくスタンスを持っているので、特に問題はなかった。
あとは、卒業式とお別れ会のみである。私は大した事はできなかったが、自分なりにえりりんを応援してきたと自負している。今まで数え切れないぐらい思い出がたくさんある。時には心配をかけたりしてしまって、ある意味「こんな私でも心配してくれる人いるんだなあ」と感激したりした。
中には一推しメンバーと共に“SKiのふぁんさん”というフィールドから離れる人もいるだろう。でも私は“ふぁんさんを続ける”選択をした。残ったメンバーに期待する意味、そして、えりりんが築いて来たSKi自体に期待を込めて・・・。
えりりん今まで本当に本当にありがとう!!これから大学受験頑張ってね。
OGで出てきた時はあたたかく迎えたいと思います。
【副編集長■竹ちゃん】
《えりりんの笑顔につつまれて・・・》
恵里子ちゃんがSKiに入会してからもう丸三年以上立つ訳で、時の流れは早いものだと改めて実感します。
入った頃から今までを振り返ると、自分が考えている以上に、直接見たり会ったりしてコミュニケーションが取れた時間は少なかったと思います。
私のSKi史上、一番思い入れが強く、可愛くて愛おしいと感じていた娘なのに・・・。
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撮影/ゆめのしずく_
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そもそも私は彼女との出逢いが遅かったもので、一度97年12月で少し見て以来、直接見たのは98年4月まで来るので当然です。その間、前の一推しの娘が辞めるなど様々あり、当時、えりりんのことはちょっと気にかかっていましたが、精神的ダメージの方が強く、それどころではなかったのです。
そして98年4月に握手会で直に初めて会ったえりりんは、その瞬間から私の心をがっちりつかんでくれました。本当に救われた気がし、それまでのモヤモヤしていた私の気持ちを吹っ飛ばしてくれたのです。
それは何より、あの愛らしく、幼さ(無邪気さ)の残る、いつも満面の笑顔がそうしてくれたのだと思います。
今で言うと、モー娘。の加護亜依ちゃんか辻希美ちゃん的な雰囲気があり、かつとても女の子っぽくて声も可愛くて、小っちゃくって、そして優しくて・・・。「こんな娘に出会うことはもうないだろう」と半分くさっていた時だったので、なおさらそのインパクトは強いものでした。
あの頃から考えると、今のえりりんの活躍は想像以上でびっくりです。嬉しいですね。
すごく成長した部分(特に歌唱力の安定感、MCなど)もありつつ、変わらない、人を思いやる優しさや素直さなどの内面的な部分、そして愛らしさなどの変わらない外面的な部分があるというのは驚きでもあります。
変わる人は何もかも、変わらない人は本当にあまり変わらないというケースが多い中で、理想的な成長の仕方をしてくれたと思います。
抽象的になりましたが、というのも、私は99年1月から約一年半、病気で入退院を繰り返しており、その空白の期間があり、志半ばになったからなのです。
えりりんの初ソロコンサートや高校入学、CDデビューの時など、えりりんにとって、そしてえりりんファンにとって大切な節目に、私は同じ時を過ごせませんでした。私にとってのえりりんは、98年の一年間だけと言っても過言ではありません。その意味では後悔の念が出てしまいます。
もうお別れなんですよね。恵里子ちゃんの残してくれた功績って、やはり大きいものだったと思います。優しさを教えてくれたこと(本物だったと確信している)、また頑張ればソロでCDデビューやライブさえ出来るのだということを、あの小さな体で示してくれたことなども。
そして恵里子ちゃんの人に対して心で接するという姿を、残されたメンバーは見習わねばならないんじゃないかと思います。
僕らと過ごした時間が、恵里子ちゃんに少しでもプラスにはたらいてくれたら嬉しいし、幸せです。バカなこともやったりしたけど、そんなこともどこか思い出にしまっておいてくださいね。そして、いつもの前向きで明るい恵里子ちゃんでいてください。
【埼玉県/恵里子にTry!】
《笑顔はいつまでも》
“三浦恵里子”という名前を最初に聞いたとき、私は冗談じゃないかと思ってしまった。だって、元CoCoのメンバーは“三浦理恵子”だったんだから。それをパクったんじゃないかと思ったんだけど、やっぱり彼女は三浦恵里子だった。
えりりんと初めて言葉を交わしたのは、98年夏の水上ツアーの時だった。
この時はメンバー抽選で二度彼女に当たった。二度目に来たときは「また、私でいいんですか?」と申し訳なさそうに言っていたのが印象的だった。
そうは言っても、明るいキャラクターは当時からあって、紙コップにファンさんの似顔絵を書いて楽しそうに笑っていた。その紙コップは今でも大切にしている。家宝にしたいくらいだ(笑)。
そんなえりりんの人気が急上昇するのは、99年に入ってからだ。
篠原智子ナンバーの『天使のアイス』や『恋するふたり』で見せてくれた可愛らしさがファンの心をくすぐったからだろう。
撮影会では、えりりんの前には“ベルリンの壁”が出来てしまい、なかなか近づけない。ツーショットポラの希望者数もダントツになった。
人気が出てきたため、彼女のオリジナル曲が作られるようになり、SKiというグループに所属しながら、ソロアイドル的な存在にもなっていた。実際、ソロコンサートは3回もやったし。
そんなこともあって、しばらくの間えりりんは私にとって遠い存在だった。しかし、昨年の忘年会では久々にしゃべることが出来た。その時、彼女の後ろを本誌副編集長の竹ちゃん氏が通った。
「あ、後ろに誰か通っているよ」と私が言うと、彼女は「竹ちゃんだ」と言って笑った。98年の水上ツアーで見せてくれた笑顔と一緒だった。
えりりんの卒業が決まったことを知った後、私はあの笑顔をいつまでも心に刻みつけておこうと思った。
【編集委員■本間寛】
P会報で「歌も踊りも下手な自分を、他人と比較して落ち込んだりもした」という文を読んで「ステージの上ではいつも明るいえりりんも、悩んだりするんだなあ」と意外に思いました。でも、結構負けず嫌いなとこはありそうだから、そうして落ち込むこともあったのかも知れませんね。
しかし今にして思えば、それがえりりんらしさなのかも知れませんね。世の中には、落ち込んだらそのまま立ち直れない人もいる。くじけそうになっても、がむしゃらに突っ走っていく。そんなバイタリティーがえりりんらしさなのかも知れませんね。
SKiを卒業して、新しい環境になっても頑張ってくださいね。
【群馬県/知恵之輪士】
本当に突然、この話を聞かされびっくりしました。
何せ、えりりんこと三浦恵里子ちゃんが今後も引き続いてSKiで活躍することを期待していたので・・・。
私が“えりりんワールド”に引き込まれたのは、3,4年ぐらい前の『水上ツアー』でした。
えりりんの第一印象として「とにかく笑顔の可愛い女の子だなあ」と思いました。そしてファンさんのことを人一倍気遣う点。この二つに心が打たれました。
以後、SKiのミニコミでは、えりりんに対して熱〜いメッセージを書いてきた私ですが、私もえりりんがSKiを卒業すると同時に、SKiファンを卒業する決意をしました。
えりりん、本当に長い間ありがとう。
そして、夢に向かって目標を突き進み頑張ってください。
【愛知県/杉浦嘉信】
恵里子ちゃんお疲れ様。
P会報読んでみてあんなに悩んでいるとは思いませんでした。そんなに悩む必要はなかったんじゃないかなぁ。あれだけたくさんのファンがいて、曲にも恵まれてて、ソロコンサートまでやれたんだから。ほんとうに恵里子ちゃんは幸せ者だし、それをうまく生かしてほしかったな。
それだけに一番残念なのはソロアルバムが出ないことだね。せっかく発売日まで決まってて私も楽しみにしていたのに…。やり残したことがまだ多かったんじゃないかな、決断が早すぎたってあとで後悔しないかなって、それが今の心配なところだね。大学へ行くことは後でもできるから、今のうちしかやれないことを大切にしないといけないんじゃないかな…。そのあたりを恵里子ちゃんにはもっと考えてほしかったね。
恵里子ちゃんとはいっしょの時間ってあまりなかったけど、いろいろ反応してくれてありがと。これから悔いの残らない選択をしてね。
【編集委員■ホーカー・テンペスト】
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撮影/ブルーウェイブ_
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えりりんは、私と初めてお話したときのことは覚えているかな?
去年のバースデーが初めてだったんだけど、私はそのときえりりんに「いつもステキな笑顔ですね」と言ってもらったことを覚えています。それまではコンサートにしか行ったことがなかったんだけど、それだけで私の顔を覚えていてくれたのだろうか?だけど、私がもっと覚えていることはえりりんが言った「まぐろ〜〜〜」(笑)。これはえりりんに覚えてもらえるキッカケになりましたよね。(^^)
他にも思い出はあるけれど、スポーツ大会も良い思い出になりました。えりりんと同じチームになれて、しかも準優勝もできてとても楽しかったです。少しはカッコイイところを見せることができたかな?
SKiは卒業するわけだけど、ずっとずっとえりりんのことを応援しているからこれからもヨロシクネ。
えりりん、だいだいだ〜い好き
【東京都/目黒良幸】
この三年間、もっともファンに至福の時を与えてくれたのは、えりりんだったのかもしれません。
おしゃまなえりりんがステージに現れると、和やかな雰囲気がエミナースを包みこみました。
そんなえりりんも、もう卒業です。
最後になってこんな話をするのはちょっと失礼かなと思いますが、えりりんはきっと、可愛いおばさんになれると思います。パートに出ても、職場の雰囲気を和やかにしてくれるような。
卒業して、時間はまだたっぷりあります。青春をしっかりEnjoy!してくださいね。
【SKIノベライズ委員会】
三浦恵里子は、可愛い女の子だった。
「えりりんは可愛い」。この言葉は幾度と無くファンさん達の口から出た言葉だが、その可愛さは、身体の奥から自然とにじみ出てくるというものであった。
少なくとも私たち酸いも甘いもかみ分けてきたアイドルファンは、見た目だけ可愛い子を演じているのか、それともシンからくる物なのか、その違いを敏感に感じ取ることが出来る。えりりんは、そんな私たちから大きく支持されてきたのだ。
そしてもう一つ。男性にアピールしたいが為に表面的な部分だけで可愛い子ぶる女の子は、ほとんどの場合同姓からは嫌われる。
しかし彼女はそれとは全く逆にメンバー達、特に後輩である五期生達から大変慕われていた。
昔読んだ中島らものコラムに、このような言葉がある。
「リーダーと呼ばれる人は二つのタイプに分かれる。それは“リーダーにされてしまった人”と“リーダーになりたくてなった人”の二種類だ。リーダーとして優秀なのは、言うまでもなく、前者の方である」。
メンバーの中でトップクラスの人気があるにも関わらず、決してそれをハナに掛けることなく、メンバー皆にきちんと振り付けや歌を教えてくれていたという。その姿勢にはひとかけらの打算もなかったであろう。
だからこそ恵里子ちゃんは「ちぃリーダー」として“リーダーにされてしまった”のであり、またそれを最後まで務めてあげていくことが出来たのである。
そんな訳で恵里子ちゃんは本当の意味で“可愛い女の子”だったのだ。
そして、そんな可愛いえりりんと3年以上の月日を過ごせたことを、私はとても嬉しく思う。
恵里子ちゃんって、これからもずっと良い意味で変わらないのだろうね。
「恵里子ちゃんは、結婚して主婦になったら、カルチャー教室で張り切ってそうな感じがする」。とは一昨年前の『バースディパーティ』での寄合歩ちゃんの言葉だが、まさに同感。えりりんは、これからもずっ〜とえりりんだろうなと思う。
ありがとう、えりりん。本当に楽しかったよ!!。
【編集長■ブルーウェイブ】
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