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Graduation 2001
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波平槙子 Makiko Namihira
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五期生
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私が初めて波平槙子ちゃんを意識した時は、98年の忘年会だった。
それまでは全くノーマークだったが、やはり運命と言うのはある意味恐ろしいものである(笑)。
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撮影/ブルーウェイブ__
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メンバー抽選で波平槙子ちゃんが来て、いろいろと楽しい一日を過ごした。話せば話すほど「何だ!この面白い娘は」と思えるほどだった。そこで私は帰ってから手紙を出す事にしたのだ。
それから1ヶ月後、私の手元に手紙が届いたのだが、文面には「去年の忘年会は、おせわになりました。竹ちゃんとはあまりお話しできなかった気がするのでまたイベントなどで一緒になりましたらお話ししましょうネ。」と書いてあった。確かに他のファンさんと比べてあまりお話ができなかったような気もする。だから私は、「次の機会があればお話しよう!」と心に誓ったのである。
1999年4月18日、私はお花見のため(もちろんFCイベントの)500キロ以上離れた会場まで懲りずに車で上京した。ここで驚く事が起こった。槙子ちゃんが私のいる班にメンバー抽選で来たのである。
「こ、これは運命だ〜〜〜!」と思い、手紙の返事の通りと言うより、忘年会であまり話せなかった分話した。同じ班のなみへいふぁんさんに遠慮しながら(^^;;;
一番楽しかったと言うか、もう一つ驚いたのが、“一推し当てクイズ”の時、他のふぁんさんはことごとく外れる槙子ちゃんなのだが、私の時だけ、一発で「恵里子ちゃ〜ん」と当てられてしまったのだ。
帰ってからまたせっせと手紙を書いている自分がいた(^^;;;
私の場合、結構槙子ちゃんがメンバー抽選で来て、おかげで楽しく過ごす事ができたのだが、当の槙子ちゃんは受験、そして持病により休業する時が多くなってしまう(泣)。
しかも「入院した」と聞いた時は本当に驚いてしまった。かく言う私も持病があり、苦しさは多少なりともわかっているつもりだ。でも、槙子ちゃんは本当に頑張ったと思う。
もっと楽しい思い出を作ろうと思った矢先の休業なので、私にとってはもうちょっと早く魅力に気付けば良かったと悔やまれるところだが、体には本当に気をつけて頑張ってほしいと願っている。
【副編集長■竹ちゃん】
「なみへい君」こと波平槙子ちゃんは、最初は“お笑い系”のイメージがあったのだけど、FCイベントで一緒になってみると、とても礼儀正しくて、人によく気を遣う優しい女の子だと言うことが分かった。
ゼンソクの持病がありながらも頑張ってくれたけど、やはり自分の身体が第一だから、今回の卒業はやむを得ない。
今までお疲れ様。
【編集委員■本間寛】
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撮影/ブルーウェイブ_
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1998年6月、前日の雨露が残る《みなかみになる日ツアー》屋外撮影会でのこと。
SKiに入って間もないなみへい君の周りには、私を入れてもわずかに5人。あまりに雰囲気が寒かったので、「話聞いてやるから、何でも聞け!」「(客)おぉー!!」 と、インタビューがてらの撮影タイム。
「宿舎〔湯ノ小屋温泉・洞元荘〕へ向かうバスの中から猿を見た」とか、「SKiには、新宿の街で中野成子社長(当時)にスカウトされて入った」なんて話をしていましたのを思い出します。
まだ「はにかみ笑顔」だったのに、その後[寿隊]と[エリマキと影]に入って、 持ち前の明るくひょうきんな性格で人気は「赤丸急上昇」。SKiにはなくてはならないメンバーに成長しましたね。
もう少し長く見ていたかったけど、人気のあるうちに卒業してしまうなんて、これまたなみへい君らしいところかも。
まだまだ16歳。青春真っ盛りだけど、遅刻のしすぎには気をつけてね。
(…って、私が言ってもぜんぜん説得力ないけど)
どうか、お元気で。
【編集顧問◆しろくま☆しゃしょう】
私が初めて波ちゃんと話したときのことは、今でもはっきりと覚えている。
それは98年11月の『スポーツ大会』でのことであった。
最後の表彰式の時、メンバーを先頭にして各班が並んでいく。この時に前の方に立った私は、ここぞとばかりにメンバーと話す機会を窺った。
そのうちに、久川由美子ちゃんと話をしている波ちゃんの姿をを見つけた。
由美子ちゃんとの会話がとぎれた瞬間、私は当時出したばかりのミニコミ誌『六連星倶楽部』の話を振ってみた。「今度、槙子ちゃんのことを書きますからね」と。
普通、こう言うときには「ありがとうございます」とか「読んでいますよ」という返事が返ってくるものである。
だが、彼女が返してくれた言葉は、私がこれまでに聞いたことがないものだった。
「私のことはいいですから、他の子のことを書いてあげてください」。
全く予想だにしていなかったその返答に、私は言葉を失った。
そもそも芸能の仕事というのは、“人を押しのけても、自分が前に出ようとする”ようなタイプでないと向かないものだ。
なのに「他の子のことを書いてください」とは・・・。
その後、彼女の人となりを知るにつれて、私はその言葉の意味を知ることになった。
彼女とイベントなんかで一緒になったファンさんは、皆、口を揃えて「楽しかったよ」「いい子だよ」と私に言う。
彼女には「自分を良く見せよう」と言う芝居っ気や自己顕示欲が無い。その代わり、誰に対しても折り目正しい態度で接し、皆にとても気を遣ってくれる。
そしていつの間にか、みんなを幸せな気持にしてくれている・・・。そう言う女の子なのだ。
例えばもし職場に波ちゃんのような同僚がいたら、そこの社員は皆、毎日楽しく仕事が出来、商売繁盛間違いなしだろうな。なんて私は思う。
そして、現在のSKiファンの多くは、そんな“優しげな癒し”をメンバーに対して強く求めているのである。
そんな訳で波平槙子は、現在の『制服向上委員会』と言うグループの持つ性格を、最も象徴しているメンバーであったと思う。
この“優しげな癒し”というキャラクターがこれからもSKiに連綿と受け継がれていくことを私は願う。
槙子ちゃん、ありがとう。
いつまでも、あなたがそこにいるだけで周りの皆を幸せな空気で包み込んでいってくれるような、そんな女性でいてください。
そしてもう一つ。お身体にはこれからも気を付けて・・・。
【編集長■ブルーウェイブ】
なみへいくん、おめでとうございます。さみしいけど今まで遊んでくれてありがとです。私のギミックに一番反応してくれたのがなみへいくんでした。その意味でも感謝ですよ。
私は今の制服向上委員会をメンバーで表すとしたら、なみへいくんだと思っています。いろんな意味でなみへいくんが、今のSKiのイメージに一番合ってるなと思っています。
入ったときは「すぐ辞めちゃうんじゃないかな」と感じたりしたものですが、こうして残ったことはうれしいものです。なみへいくんみたいな子は他のところでは絶対見られないと思ってます。
これからは持病の喘息とも付き合いながら可能性を探していくと思いますが、悔いのない選択をしてほしいです。頑張ってください。
【編集委員■ホーカー・テンペスト】
「なみへい、なみへい」と呼ばれて来た槙子ちゃんも、そう卒業ですね。
イベントのとき、「私みたいな女の子、好きですか?」と言われたときの返事、まだしていませんでしたね。
「好きです」
最後の最後になってしまいましたが、ちゃんと返事しておきます。
お体に気を付けて、これからも頑張ってください。
【SKIノベライズ委員会】
槙子ちゃん。SKiでの活動、本当にお疲れさまでした。
コンサートやFCイベントなどで笑いをとったりして、ファンさんを楽しませた姿をよく思い出します。
槙子ちゃんは体が弱いそうで、コンサートやイベントを休みがちな時もありましたね。でもそれにもかかわらず、無理をして私たちの前に姿を見せてくれました。本当に頭が下がります。
槙子ちゃんが卒業してしまうのは残念ですが、とにかく身体を大事にしてください。
【愛知県/杉浦嘉信】
えりりんやアキさんが“動”のキャラクターだとすると、なみへいは対極の“静”のキャラだったと思う。
えりりんやアキさんは、自分の内側にあるものを外に吐き出して行くのに対して、なみへいの場合、外にあるものを内側に吸収して溜め込んでいくタイプのように思います。
波平さんってどちらかというと“大器晩成型”という気がします。これからの新しい環境でも頑張ってください。
【群馬県/知恵之輪士】
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