《篠原智子ちゃんの思い出》
昨年の吉成圭子さんに続いて、今年は新年早々篠原智子ちゃんの引退が決まった。SKiの2期生として、一時期は人気ナンバーワンともいっていい存在だった彼女の引退には、改めて時の流れを感じさせる。
智子ちゃんは、SKiに入った時から大変に印象が深かった。彼女の初ステージは、94年1月、東京・神田の日仏会館で行われた第1回の「卒業式・入会式」だった。この時、彼女に対して客席から「あおい〜!」という声援がかかった。今になってみるとそんなに似ている感じはしないけど、当時はとてもよく似た雰囲気だった。それに伴って、SKiにも評判を聞きつけた水野あおいファンが続々と集まるようになり、SKiファン増加の大きな要因になった。なお、余談だが、彼女のデビューの舞台となった日仏会館は今はもうなくなっている。ここでも時の流れを感じさせられた。
最初に入ったユニットは寿隊だった。後ろで踊っているだけなのに、他のメンバーよりも強い存在感。「何故?なぜ?」でうなずく仕草などは、ちょっとしたことだけど、他の誰にも真似できないだろう。そのうち、「小隊長」という肩書が付くようになり、寿隊にはなくてはならない存在になった。
こうした実績を積み重ねた上で、彼女も自分のユニットを持つことができた。[新・静寂向上委員会] だ。もともとは滝本久美のグループだった [静寂向上委員会] だが、「新」とはついているものの、実際はそっくりそのまま受け継いでいる。前任者のイメージというものはなかなか強くて違和感を持っていた人もいたようだが、みーつー(松本美雪)との名コンビによる [新・静寂] は、滝本久美とはひと味違った魅力があった。ただ一つ残念だったのは、[新・静寂] としての新曲がなかったことか。
しかし、彼女がなんといってもその本領を発揮したのが“ソロデビュー曲”とでも言うべき『小さな生命』じゃないかと思う。メルヘンのような歌詞とかわいらしい振付けは、アイドルファンの心をくすぐるのに十分だった。最初はそれこそ「水野あおいっぽい曲」とか言われたけど、歌う回数を重ねるごとに「篠原智子の曲」としてのイメージが定着していった。
それ以外では、『うたかたの夢』は盛り上がり系の曲。バックのみーつー、本田博子ちゃんとの息もピッタリで、「うたかたトリオ」などと呼ばれたこともあった。アップテンポの曲ばかりでなく、『冷たい風と朝日の中で』のような大人っぽいバラードでもなかなかいい味を出していた。
こうしてみると、篠原智子ちゃんは、歴代SKiのメンバーでも最も印象の深かったメンバーの1人ということが言える。そんな彼女の姿を見ることができなくなってしまうのはとても残念だけど、『小さな生命』をはじめとする“篠原智子ナンバー”は今後も歌い継がれていくだろう。それらの曲を聞く度に、彼女のことを思い出すに違いない。
[論説委員■本間 寛]
写真 94/ 9/23 カフェシティヨコハマ 智子ちゃんSKi入会の年・94年9月23日の「カフェシティヨコハマ」にて。新二期生が紹介される前日のことであった。当時の寿隊には、田村千秋ちゃん、浅野みゆきちゃんも在籍。また、この日は松田ゆかりちゃんも加わっていた。隊長の望月菜々ちゃんも含め、現在はみなSKiを卒業してしまったことになる。
(撮影・ゆめのしずく)
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