《もう「しの」って呼べない…》
97年から98年にかけて数多くの「引退」を見てきた。私の場合もう1つの趣味であるプロレスでは特に多かった。首を負傷、体力・気力の限界…理由はどうであれ誰であっても悲しいものだ。
でも97年の智子ちゃんとみーつーこと松本美雪ちゃんの卒業、そして今回の智子ちゃんの引退ぐらい悲しいものはない。女の子の事で泣くなんてこれからもあるとは思えない。いまだに「彼女」を持った事がないですから…私は。
いまこうして書こうと思ってもなにから書いていいのかわからない。でも智子ちゃんと一緒に過ごした日々は走馬灯のように思い出す。
はじめて智子ちゃんと美雪ちゃんが並んだのを見た95年5月20日のエミナースでの開演前の握手会。
はじめてオリジナル曲「小さな生命」を歌った大阪のコンサート。
自作のドレスで歌った「うたかたの夢」。
美雪ちゃんとともに中心だった「新・静寂向上委員会」コンサート。
博子ちゃんと愛ちゃんと初めて一緒だった松本パルコのイベント。
全日本女子プロレスの選手達と対戦したフットサル。
吉成圭子ちゃん・松田ゆかりちゃんと一緒だった「謹賀の宴」「禁断のSKi」。
ソロになってはじめてやったバースデーコンサート。
鬼怒川温泉での温泉ツアー。昭和記念公園のピクニック。
そしてクリスマスコンサート、愛ちゃんと一緒の晴着撮影会・・・
その他のイベント・コンサートもとても楽しい思い出です。
特にソロになってからのイベントやプライベートライブは印象深いです。SKiにいた時は行けなかった事もありましたが、ソロになってからFCのイベントは全部行ってると思います。プライベートライブの時は抽選だったのでとても幸運だったと思います。
その中でいちばんの思い出はピクニックだと思います。間近に智子ちゃん(&愛ちゃん)とお話ができて、一緒にお弁当を食べたり遊んだりしたことが思い起こされます。
そしてもう1つどうしても忘れられないのはファンレターのお返事をはじめてもらったことです。いままでいろんな子にファンレターを出しましたが、返事は智子ちゃんが最初でした。来た時にはものすごく感激しました。「こんな私のためにわざわざ時間を割いてくれた」事を考えると…。
そういえば98年は年賀状ももらいました。後ろ向きのトラがとてもかわいかったです(笑)。
95年にはじめてSKiのコンサートを見た時から智子ちゃんはSKiを応援する時の「心の支え」でした。智子ちゃんがいるからSKiを見ることができました。それは97年に卒業してソロになっても変わりませんでした。「智子ちゃんがいる」ことがグループアイドルがどうしても好きでない私にとってはげみというか支えになっていました。智子ちゃんがいなかったらSKiというムーヴメントに入る事は絶対無かっただろうし、そうなればなみ子ちゃん、みゆきちゃん、博子ちゃん、美雪ちゃん、愛ちゃん、美香ちゃん、裕紀子ちゃん他のメンバーを見る事もなかったでしょう。そう考えると智子ちゃんはとても大きな存在でした。体は小さかったけど(爆)。
ソロになってから一般にアピールする機会がとうとうなかったのは悲しいです。智子ちゃんがアイスのCMに出てくれる事も期待したのですが…。でもマスコミに変なことを書かれたり中傷されたりすることを考えたら、こうして終わるのも幸せだったのかなとも思います。
美雪ちゃんが「呼びやすいから」ということで智子ちゃんを「しの」って呼ぶようになってから「しの」という愛称が定着しました。今では「篠原」姓のアイドルは何人かいますが、「しの」は智子ちゃんだけのものと思っています。
もう「しの」って呼べないね…。でも私の心の中には小さくて大きい智子ちゃんがいつづけます。そして死ぬまで忘れる事はないでしょう。
いままでありがとうございました。これからどうしていくのかわからないけど、悔いのない人生を送ってください。
ありがとう、心をこめて。
[東京都/ホーカーテンペスト]
写真 1996/4 松本パルコ・オープニングイベント 前日の「制服宣言ツアー」千葉公演の時に情報を聞いて即決。 本田博子ちゃん・久保愛ちゃんも一緒でした。 3人とも前日のコンサートの疲れからか調子が今一つだったのを覚えています。この時は撮影もできました。今だったら撮禁でしょう。オープン記念の弁当箱をしのにプレゼントしましたっけ(笑)。
(撮影・ホーカーテンペスト)
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