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美雪ちゃんが卒業してしまう・・・。 これを書いている現在(2/1)、P会報はまだきていない。だから美雪ちゃんの最後になるかもしれないメッセージは見ていない。 やり残したことはいっぱいある。私はしのがいちおしだったから、ただでさえ少ない美雪ちゃんのイベントに行けないこともあったし、最後の機会は「抽選」で消されてしまった。悲しかった。したがって2おしだったけど、逢った機会は数えるほどしかなかった。 でも私の心の中では、美雪ちゃんのインパクトはすごく強かった。その姿をコンサートやイベントで見ただけでも嬉しかった。
美雪ちゃんで好きなところ・・・「存在」そのものだった。言葉で言い表わせないくらいのよさがあったし。しのとはちがったかわいらしさがあった。 |
美雪ちゃんが本格的にソロで歌うようになったのは静寂向上委員会のサブリーダーになってからだと思う。その時はもう美雪ちゃんが歌う姿だけでも嬉しかった。もしかするとしのが歌ったときより嬉しかったのではなかったろうか(しのはすでにソロで歌っていたから)。正直言って美雪ちゃんの歌は決してうまいほうじゃなかった。でも美雪ちゃんは一生懸命歌っていたと思う。その姿がよかった。それでよかったのだ。こころなしか美雪ちゃんの表情も充実していた。 美雪ちゃんが2おしとなったのはそのころからだった。ひとりで歌を歌うことはやはり大きい。
その後も美雪ちゃんはソロで、ときにはセンターでボーカルをとることもあった。少なくとも96年の夏ぐらいまでが、美雪ちゃんがもっとも充実していた時期ではなかったかと思う。このころはしのも同じ状況で、2人はSKiの主力となっていた。私もまたコンサートを見るのがもっとも楽しいころだった。 |
96/01/07 日本テレビタレントセンター 「'96謹賀の宴」 |
しのと美雪ちゃんについては、他でもあるだろうから多くは書かない。ただ1つだけ印象に残ったことがあったのでそれだけ・・・。 96年4月27日、あの「智子ちゃん脱走事件」があったときの夜のコンサート。どの曲だったか忘れたが、美雪ちゃんの踊りが突然おかしくなった。はたから心配になるぐらいくるっていた。美雪ちゃんがどういう気持ちだったかは知る由もないが、いなくなっていたしののことが心配だったのではないかな・・・と感じていた。 アンコールの「いつものように」でしのが戻ってきた。美雪ちゃんと顔をあわせて「もう大丈夫」とでもいいそうな笑顔をしのがみせ、美雪ちゃんも笑顔を送り返していた・・・そう私は思っていた。 そういえば智子ちゃんのことを「しの」って呼んだのは、美雪ちゃんが初めてだったかな? 上の事を書いてから2日後、しずくさんのご協力により、美雪ちゃんのメッセージは見ることができた。 「これからもずっと、制服向上委員会のメンバーを応援し続けてください。私からの最後のお願いを聞いてください」
・・・複雑な気持ちです。でも美雪ちゃんがメンバーのことをずっと思っていることを考えると涙が出てきてしまう。こんなことは初めてです。
[東京都/ホーカーテンペスト]
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