last update:98/03/19
sweet days...

小林久子   Hisako Kobayashi


《小林久子さん、本当にありがとう》

 小林久子さん、私があなたの魅力に気付いたのは卒業間近だった…。

 始めて出逢ったのは、平成8年大宮でのGW公演の時だった。印象は「ただ、後ろで踊っている子」というだけだった。
 それもそうである。私は”歌じゅ〜よ〜”という精神、しかし久子さんはコンサートではほとんど歌わせてもらえなかったのだから…。
小林久子  その後もこの印象は変わらなかったが、公開生徒総会で発言していない子に気を使ったり、また寿隊のコンサートではメンバーにからかわれて落ち込んでしまったり、というやりとりを見ているうちに、私は「久子さんは心が清らかなんだなぁ」と、何となく気にはなっていた。
 しかし、まだ関心度はぐっと低かった。

 そんな“ノーマークの”久子さんに始めて驚かされたのは、他のファンさんと同じく、平成8年11月の演劇歌謡祭の時だった。
 それまで舌足らずでMCも不安気だった久子さんが、見違えるようにハキハキと演技する。まさに別人である。声も張りがあって、私もびっくり仰天だった。
 それからというもの、特に歌での活躍は素晴らしかった。特筆すべきは5月のなかよしコンサートで見せた絵美ちゃんとの素晴らしいデュエット。以前からも時々一緒に歌っていたが、本当に仲良しなのが伝わってくるステージ。『わかるといいね』なんて、サビの部分で見事に2声に別れ、聴いていてとても心地良い。
 そして夏には、いよいよSKi-Tの登場だ!
 ステージではほとんど声が出ていないメンバーもいたが、見ていて楽しいこと楽しいこと…。そして、4人のメンバーをバックに歌う久子さん、まさにリーダー級の存在感。歌い馴れた『テスト』に至っては、貫禄すら感じられた。
 更に11月、その曲がCD化された。ついにCDで久子さんのヴォーカルが聴けるのだ。この歌声の素晴らしいこと。バックコーラスにも全く負けていない、しっかりした歌声。私は久子さんにすっかり打ちのめされ、とうとうおてまみ(^^;まで出してしまった。

 こうして私の中で久子さんの存在がとても大きくなった中、突然の卒業…。
 もちろん驚いたが、今は「出逢えて良かった」という気持ちで一杯だ。

 久子さん、これからはSKiを離れ自分の道を歩んで行くと思いますが、私たちの前で歌った日々を覚えていてください。
 久子さんの歌声は素敵です。本当にありがとう。

[文:東京都/匿名希望]

[カメラ:ゆめのしずく]



《久子さんの成長》

 「この娘は、本当にこの世界でやっていけるのかなぁ…」。

 これが、小林久子さんを96年6月8日のIJF3で初めて見たときに私が思ったことです。まだ、歌のステージには立つことができず、かいがいしくマイクの撤収を行なう姿、そして、あの伝説に残る(!?)いじめ追放デモのゴール地点で、あまりの混乱ぶりに思わず涙ぐんてしまっていたあなたのか弱き姿が、今でも私の心に残っています。
 それがいつの間にか精神的にたくましく(?)なっていき、昨年のカウントダウン100で『青春ラプソディ』をしっかりとした姿勢で歌う姿を見て、感動すら覚えたものです。
 それが今では「SKiのお笑い担当」だってんだから、こいつはもう驚いたものです。

 そんなひさりんも、いよいよステージを去ることになるのですね。
 私は、最初から最後まであなたの成長をずっと見守る事ができて{ただ、大ボケぶりは最後まで…(笑)}良かったと思っています。ごあいさつ'98の握手会で、じっと私の目を見つめて微笑んでくれた、あなたの優しげな表情はずっと忘れません。
 SKiで出会った一生ものの仲間達と、そして小林家の可愛い仲間たち(ホワイトさん,かずみちゃん,さくらちゃん)とともに、これからも仲良くやってくださいね…。

[大阪府/Be-Wave]



《美しさを求めて》

 もともと、SKiにはショートカットのメンバーがとても少なく、最初に入った三期生でも小林久子ちゃんは唯一のショートであった。しかし、全くボーイッシュな感じはしないし、むしろ「この子は大丈夫なんだろうか?」と思わせられるぐらい。独特のゆっくりとしたペースが印象的。仲の良い片桐陵子ちゃんとのコンビも話題となった。
 やがて陵子ちゃんはSKiを卒業してしまい、久子ちゃんは髪を伸ばし続けた。そして、かつての陵子ちゃんのようなロングが今では素晴らしく似合う。入会の頃とはずいぶん印象が変わったなと思う。
 が、それはあくまで見た目での話。2年半前からずっと、「小林久子の時間」は変わらずに流れている。

小林久子  今の世の中、何もかもペースが速くなってきている。娯楽といわれるジャンルでさえもそうだ。音楽界を見れば一目瞭然。
 ところがSKiでは[静かな一座][静寂向上委員会]などの、静かなもの・ゆっくりしたものを受け入れる土壌があったと思う。
 しかし、最近ではそれも変質してしまっているような気もする。久子ちゃんや絵美ちゃんの活躍できる環境がもっとほしかった。「世間で言う女子高生」に対するアンチテーゼなら、なおさらそうではないのか?

 さて、久子ちゃんはこれから美大へ進学したいという。趣味で描くだけにとどまらず、本格的に勉強したいということなのだろう。
 一つでも特技を持っているのは素晴らしい。これは、天から与えられた才能なのである。いつか、久子ちゃんのオリジナリティあふれる作品が、人々の心をとらえるようになる日が来ることを期待したい。

 以前にも書いたことがあるが{97年8月号参照}、久子ちゃんは大林宣彦監督の映画〔ふたり〕がお気に入りなのだという。もしかすると、主人公・美加と自分を重ねあわせていたりしたのだろうか?
 私も、美しい映像と作品全体を流れるメッセージに大変共感し、常に心の隅に置いているような作品である。
 久子ちゃんも、何年かして再び見ると、きっとまた新たな感銘を受けることだろう。いつまでも、こういった気持ちを大切に持ちつづけてほしいと思う。

[カメラと文:論説委員■ゆめのしずく]



《水玉模様のラブレター》

 本誌96年12月号のコバンザメ付録〈恋はゆっきぃのよう〉に感化され、私も一推しであるひさりん[小林久子ちゃん]の夢を見ました。しかも、2夜連続で…。
 少し照れくさいんですが、せっかくの機会なのでここに紹介したいと思います。

▲scene その1▼
 どういうわけか、僕とひさりんが“※1貧しい新婚夫婦(^^;”という設定…。
 生活費を稼ぐため「夫婦共働き」をすることになり、たどり着いたところがナナナント(c)※2パチンコ屋さん(苦笑)。
 店長との面接の時、「しばらく、ここで(二人で)頑張りましょう…」とつぶやく彼女の瞳(め)は潤んでいた。それに気付いた僕は、「※3こんなところで、君を働かせるわけにはいかないよ!」と彼女の手を引き、猛ダッシュで店の外へ…。
 と、飛び出したところで夢が終わったが、まさに「何故?なぜ?(c)という感じぃ〜」の目覚めだった。アイドル相手に限らず、いつもは仕事疲れで熟睡してしまい夢など見ない私なのに、次の夜もまた、夢にひさりんが登場した。

▲scene その2▼
 “前夜の夢”から、さかのぼること1年。
 場所は、当時僕が「駅員」として勤務していた山陽電車・明石駅の※4表口・木造駅舎。今では高架駅になってすっかりキレイになっているから、これ自体約10年前の話ということになります。

 ある寒い冬の日のこと。僕が改札口で※5立ち番をしていると、ベレー帽の良く似合う丸顔で少し背の高い女の子が、目の前の自動改札機を通り過ぎていった。
 この駅まで、スクールバスで送迎してくれる短大に通う彼女の笑顔に、毎朝毎夕、僕の目は釘付けになった。
 そんな彼女の名前は「久子」…。

 それは、公立小学校6年生の時。僕は同じクラスになった彼女に一目惚れしてしまったのだ。
 始業式の日以来、休み時間ともなれば彼女の女友達二人も加わり、一緒に喋ったり・遊んだりして、もちろん学校から帰るときも一緒。
 当時「※6いぢめられっ子」だった僕は、彼女がいたからこそ、ほとんど毎日休まずに学校へ行くことができたのです。
 うちのクラスは男女とも人数が奇数だったので、体育の授業で準備体操をする時は、僕と彼女がペアを組むことになっていました。馬跳びをするときなど、シャイな僕は(当時はもちろん今でもそうですが…)お尻など触ることなどできず、腰に手を当てて飛んでいたことを思い出します。
 修学旅行や卒業アルバムの写真(さすがにツーショットはなかった)はもちろん、授業後の掃除の時間でも、いつも隣にいた彼女とは、当然ながら“クラス中の噂”になるほどでした。

 そんな彼女とも、いよいよお別れの時が近づいてきました。そう、「卒業」です。
 「それまでに“告白”をしなければ…」と焦った僕は、何を血迷ったのか、彼女の女友達二人にそのことを言ってしまったのです。翌日、校内でさんざん彼女に追いかけられた揚げ句、言われた言葉はもちろん「私たち、いいお友達でいましょうね」だったわけです(←いま考えると、当たり前の展開だ)
 10日後、それ以来一言も口を利かないまま、寂しい「卒業式」となりました。

 2ヶ月ほどして、私立の女子中学校に通う彼女(僕は公立)と通学路が交差する地点で顔を合わせた時、「おはよう!」と言った僕の前を彼女は無言で通り過ぎていきました。
 この日の夜、布団の中で僕は「悔しさと寂しさで」涙が止まりませんでした。


 …と、ここまで書いた「小・中学校時代の想い出」はノン・フィクション。それ以外は“夢(だけど、実際に駅員をしていたのでフィクションとも言い難い)”です。
 ただし、本当の初恋の娘の名前は「和世(かずよ)ちゃん」といいます。
 彼女は、ひさりんに似て丸顔・ショート(カット)で背が高く、絵を描くのもうまくてスポーツも得意だったので、私の心の中で“イメージ”が重なったのかもしれません。



小林久子
 では次に、私がひさりんを応援している理由を書きます。

 彼女が初めてSKiのステージに上がったのは1995年8月24日《SKi真夏の祭典3「23時間世界一周」》の初日、『大きな古時計』の後のMCに望月菜々・滝本久美ちゃんと一緒に出てきた時です{<おしゃれ5>による}
 私はその日現場におらず、二度目に登場した最終公演{8月27日夜}が初対面でした。しかし、(ショート・カットじゃなかった?)ひさりんの印象は少なく、広川瑛子ちゃんの“ちょー(c)インパクトのあるアニメ声”のことしか覚えてません(みなさんもそうだったでしょう…)。
 10月28日のIJF2・前夜祭では、りょんりょん[片桐陵子ちゃん]と二人でMCをしただけでしたので、私がひさりんを認識しだしたのは、12月の下北沢か翌年1月15日の《はじめまして3期生委員会です》公演あたりだろうと思います。

 そして、忘れもしない1996年3月31日。
 《SKi春休みだよ!全員集合》公演の〔クイズに答えて賞品をもらおう!〕コーナーで、ひさりんの出した問題(というより、なぞなぞだな…)「東京23区内で、洗濯物が一番よく乾くのは何区でしょう?」に私が「荒川区!」と答えて、彼女が使っていた“くし”を頂きました。
 七夕の朝。FCイベント《箱根バスツァー》の撮影会で、私がコンサートの時に応援グッズとして使っている「※7しろくまのぬいぐるみ」と本誌の7号を持って、笑顔で応えてくれました =写真(1)=
 更に、その日の夕方。どしゃ降りの新宿駅西口で私たちファンを降ろして事務所へと走っていく4号車の車内から、歩道に一人ポツンと立っていた私に向かって彼女は大きく手を振ってくれました。(後日、電話でデートの時に「しゃしょうさんだと知ってて…」と確認しました)
 その後、私の心の中で彼女の存在がだんだん大きくなっていき、年末のクリスマス公演(TFMホール)では目線が合いまくり…(^^;。決定的【一推し】となりました。

 で、正月に↑あんな夢を見てしまうわけですが、「♪ もういくつ寝ると、謹賀の宴〜」とわくわくしながら1月5日を待っていたさなかに事態は急変。
 本来[広川,小林,内田]というオーダーのうち、瑛子ちゃんがドタキャン(?)したため急遽[久保,早乙女,小林,内田]と変更になってしまいました。A子ファン以外には何でもないメンバー変更ですが、これが私にとっては“大問題”だったのです。かつて、ひさりんと同率・一推しであった二期生のM.Kさん(仮名)とバッティングしてしまう羽目になるとは…。

 戦々恐々とした気分で迎えた《謹賀の宴'97》。
 ポラ撮影の時、「4人全員+私」と「新・旧一推しとツーショット」の3枚を撮ってもらおうとポラ券を6枚も買ってしまったのですが、「今日はツーショットしかダメです」と中野社長。一通りしろくまを持ってのツー(スリー?)ショットを撮影した後、「まだなのか?」「早くしろ!」の罵声が飛び交う中、その瞬間はやってきました。

しろくま☆しゃしょう&小林久子  こちらからは特にポーズの指定をしなかったのですが、二人とも内心(ライバルだと)分かっているのか、M.Kさん(仮名)が「腕でも組みましょうか…」と言ったのに対し、ひさりんとは何も言わなくともごく自然に背中合わせで撮影することになりました=写真(2)=。(数人前にも同じポーズをした人がいましたが、それが指定したものかどうかは知りません)
 背中伝いに彼女の「胸の鼓動」が聞こえてくるかのごとく、ぞくぞくっという何ともいい気分。小学6年生の初恋時代に戻ったかのよう…。
 これぞ【至福の時】!! {←っていうんですか?<まる井くん(^^)}




 しかし、その「浮かれ気分」もそう長くは続きませんでした。
 4月の花の撮影会の翌日に会社から転勤を言い渡され、月末で10年間の鉄道員(駅務係,車掌各5年)生活を終えることになり、銀行に出向したものの人事異動のゴタゴタがたたって1ヶ月で脱走…。退職金もすぐに使い果たしてしまい、今までのように月イチ・月2(時には月3も)なんて上京はできなくなりました。
 そんな中、山中湖ツァー以来4ヶ月ぶりに行った、下北沢251のアコースティック・ライブ'97。前日に17歳の誕生日を迎えた彼女が歌う『月の輝く夜に』の甘い声に酔いしれながらその場でバースディカードを書き、本誌9月号とともに入口の若いコミティ・スタッフに託しました。
 けれども、その返事はまだ届いていません…(大泣)。

 そして今日、一番の理解者であり“なかよし”だったえみにゃんとともに、彼女は制服向上委員会から卒業します。

 私は現場に立ち会えるかどうか分かりませんが、思いっ切り泣きたいと思います。
 来春、高校を卒業したら美大を目指すそうですね。絵のうまいあなたのことですから、きっと大丈夫…。

 2回目の電話でデートの翌日、3月15日…。私は、笑顔で東京に向かいます!!
 でも、さよならは言わない。だって、「また逢えるのだから」…。

<P.S.> やっぱ(c)、はかまだ(袴田吉彦)くんにはかないません。カッコ良すぎ〜★
    富田さんにだったら、勝てるかもしれないけど…(爆)。

[カメラ(写真(1)のみ)と文:兵庫県/しろくま☆しゃしょう]


 # 97年1月2日と3日の深夜に書いた原稿に、加筆訂正しました。



●小林久子ちゃんへのメッセージ

 「SKiでしか見られないアイドル」が消えてしまうのは寂しいです。この原稿を書いている時点では卒業の理由が分からないのですが、えみにゃんと一緒(に卒業)というのが泣けてきます。

 いつもコンサートでは、絶対的な存在感がありました。ソロで歌った時はとてもうれしかったのを覚えています。
 握手会の時は、いろいろツッコんだりしてくれてありがとう。私は推しに入れていなかったけれど、久子ちゃんのことは忘れません。
 今までありがとう。これからも“マイペースで”生きてください(笑)。

[東京都/ホーカー・テンペスト]



 世の中はどんどん便利になって、スピードも早くなっていく。これは悪いことではないけど、反面失うものも大きい。
 でも、ひさりんはそういった世の中に流されることなく、マイペースを保っているように見える。そのキャラクターが、SKiというグループの中に“ほのぼのとした雰囲気”を作り出していたんじゃないかと思う。

 私たちも「自分に合ったスピードで」生きていく方がいいんじゃないだろうか…。

[論説委員■本間 寛]



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